【約50年前の東京】米国人に紹介する日本のサンプル家族がお金持ちすぎて参考にならない!?

2016/12/2 22:55 服部淳 服部淳



どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回はYouTubeに投稿されている元タイトルが「Almost ideal familylife in Tokyo 1965(ほぼ理想的な東京の家庭生活、1965年)」という映像をピックアップしました。1965年は昭和40年です。


日本の文化や生活を、とある日本人家族の1日を追う中で紹介していくという米国の教育フィルムのようです。まずはざっと東京の紹介から。皇居やその周辺に続き、このシリーズでお馴染み銀座の様子が映し出されます。奥には「森永ミルクキャラメル」のネオン地球儀も見えます。


右手前には停車中の都電の姿が。都電は、この数年後である1967年(昭和42年)に都電銀座線が廃止になるなど、段階的に姿を消していきます。


現代のように車線がきっちり引かれていないので、車が入り乱れて見えます。英語のナレーションが挿入されていますが、「走っているのはバス、タクシー、軽トラックばかり。東京では車で溢れかえっているため車を所有する人は少数です」と紹介しています。


右端には有楽町駅前にあった日本劇場(1981年閉館)が、正面を東海道線が通ります。




ラッシュ時の駅のホームを捉えています。ナレーションは「多くの人々は横浜など近郊の町から電車通勤をしている」と紹介。当時の電車の扉は閉じるスピードが随分と速かったのが分かります。


そして道行く人々を映しながら、ナレーションは「これから、東京に住む大多数の人と同じような風習で暮らすある家族を紹介していきます」と進行します。


場面は東京都千代田区に現存する私立小学校の教室に変わります。5年生のクラスだそうで、終わりの挨拶をしています。


こちらがこの映像で日本のサンプル家族となるヨシダさん一家の長男、イチローさん。ナレーションによると、「イチローはいい生徒なので、全体挨拶の後で最終挨拶をする特権がある」とのこと。この学校特有の決まりでしょうか。イチローさんの挨拶のあと、皆一斉に帰り支度を始めます。


時間は午後3時半だそうで、帰りがてら「グリコ・チョコレート・パイナップル」のじゃんけん遊び(地域によっては呼び方が異なるようですが)をしているように見えます。


同じ頃、イチローさんのお母さんは、八百屋さんにお買い物に来ていました。奥の和装の方です。




ブドウが1キロ10円、大根1本10円と、現在の物価に比べだいぶ安いです。ちなみに昭和40年の大卒の国家公務員の初任給は18,580~19,610円なので、ざっくり10分の1といったところでしょうか。


続いては魚屋さんでお買い物。


イカは100グラム12円なり。


イチローさんは場所を替え、公園のような場所で野球をしていました。やはり当時すでにスーパースターとなっていた巨人軍の長嶋茂雄さんの打ち方を意識しているんでしょうか。


こちらはイチローさんの妹のハナコさん。鞠つきをしています。なんと、自宅のお庭だそう。


お母さんがお家から顔を出しました。


ハナコさんに何かお願いをしにいったようです。それにしても見事なお庭です。


こちらが、イチローさんのお父さん。手には何やら箱を持っています。


途中のスポーツ店に立ち寄ります。背後に見えるドーム状の屋根がある建物は、中央区京橋にあったアサヒビールの旧館でしょうか。




グローブとバットを品定めしています。国産の金属バットが製造されるのは1970年(昭和45年)以降のことなので(参考資料)、木製バットだけが取り扱われています。


ハナコさんがお母さんにお願いされたのは、イチローさんを呼びにいくことだったようです。口の動きから「おにいちゃま」もしくは「おにいさま」と呼んでいるようです。


そして、イチローさんとハナコさんが歩いていると、お父さんと鉢合わせ。お父さんが手にしているプレゼントに、子供たちは大興奮です。


こちらがヨシダ家の正門です。なんと立派な。イチローさんもお父さんも交通機関を利用しているシーンは映っていないですが、都心から徒歩圏内なのでしょうか。


玄関にはお母さんもお出迎え。子供たちはお父さんにもらったプレゼントをお母さんに誇らしげに見せています。


ハナコさんは……、何をもらったのでしょうか。


お父さんは「サザエさん」の波平さんのように帰宅後すぐ和服にお着替え。お母さんはそのお手伝い。


夕食前に日本酒をお酌をしてもらうお父さん。夕飯はお刺身とエビ焼き(?)、卵焼きに麺の入ったお汁、ご飯といったところのようです。旅館の夕飯のよう。


夕食を終えると、お父さんは謡曲を謡っています。他のどの場面も音声を拾っていませんが、お父さんの謡曲だけは拾っています。


お母さんは、食後も休む間もなくお裁縫。


子供たちはお勉強の時間。イチローさんはソロバンを。


ハナコさんは、翌日にあるイチローさんの野球の試合のために、てるてる坊主を作っているようです。後ろの本棚に見える「~しい四年生」という背表紙の本は、講談社が1958~1963年と短い期間発行していた「たのしい四年生」でしょうか。


9時になるとお母さんがやって来て、ハナコさんのお着替えのお手伝い。


着替え終わると、まだ謡曲中のお父さんのところへ行き、正座して深々とお休みの挨拶です。


布団を敷き、蚊帳を掛けてようやく子供たちは就寝。子供たちの顔を覗いていくお母さん。やっと一息つけそうです。


いったん電気が消え暗くなりますが、突然、就寝時にはなかった人形が薄明かりに照らされます(ちょっとホラー感が)。隣にバットとグローブがあることから、人形はハナコさんがこの日プレゼントでもらったものということのようです。ところで、なんのプレゼントだったんでしょうか。


そして、プレゼントのアップとともに映像は終了します。



このシリーズ記事で何度か取り上げてきた、日本を紹介するアメリカの教育番組。今回は日本家庭のサンプルとして紹介してふさわしくないのでは、と無意味ながら心配してしまう立派なお宅でしたが、家族団欒の自然な笑顔だったり兄妹愛だったり家族の温かさを感じるいい映像でした。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家) ‐ 服部淳の記事一覧

※最新記事の公開をFacebookページTwitterにてお知らせしています(「いいね!」か「フォロー」いただくと通知が届きます)。



【動画】「Tokyo. A model familylife in 1965 東京」