誰かに話したくなる!アンディ・ウォーホルにまつわる5つのエピソード

2016/10/25 13:00 Tak(タケ) Tak(タケ)


アートに全く興味関心がなくても、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928年8月6日 - 1987年2月22日)の名前だけは耳にしたことがあるはずです。




名前を聞いてピンとこないという方でも、マリリン・モンローの肖像画やキャンベルスープ缶を描いた作品などなど、どこかでウォーホル作品を目にしているのでは?



昨年からUHA味覚糖から随時発売となっている「味覚糖のど飴缶 アンディ・ウォーホル」や、今年12月6日より限定販売となる「キリンラガービール アンディ・ウォーホルデザインパッケージ」など我々の生活の中に自然と溶け込んでいるウォーホル作品。


そんな誰しもが知る(知らずに目にしている)ウォーホルですが、彼についてのあまり知られていないエピソードを5つほど今日はご紹介します。展覧会会場でウォーホル作品を前にした時、林先生ばりに「ねぇねぇ、知ってる?」と蘊蓄(うんちく)ひけらかしてみましょう。(吉と出るか凶と出るかは責任持ちません…)


【誰かに話したくなるアンディ・ウォーホルにまつわる5つの蘊蓄】


No.1

アンディ・ウォーホルの写真は多く残っているので、彼の素顔をwebや書籍で見たことあるはずです。でも、あの顔って実は整形した姿なんです。


https://en.wikipedia.org/wiki/Andy_Warhol


ウォーホルの両親はスロヴァキア出身でアメリカには移民として渡りピッツバーグで幼少期を過ごしました。3人兄弟の末っ子だったウォーホルの本名は「アンドリュー・ウォーホラ」病弱だった彼ですが、大学卒業後はニューヨークに移り住みその才能を開花させます。

そこで名前をアンディ・ウォーホルとし、コンプレックスであった容姿も整形したのです。主に鼻の整形手術をしたそうです。それとこれは有名な話ですが、彼の自慢のグレイヘアーは鬘(かつら)です。移民の子からNYの売れっ子にまさに自分の手で変身を遂げたのです。


No.2

ウォーホルは当初、商業アーティスト(イラストレーター)として知名度を上げました。『ヴォーグ』『マドモアゼル』といった有名ファッション誌や商品の広告まで何でも手がけました。ウィンドウ・ディスプレイや本の装丁も手掛けるなど多彩な才能と素早い仕事で一躍人気を博しました。

商業デザイナーとして彼はニューヨークで、大成功を収めていたのです。純粋な芸術家(ファイン・アーティスト)を志すのは30歳を過ぎてからのことです。しかし若い時期のこのマスメディアと仕事をした経験が後の彼の作品に生かされてくるのです。

ちなみに、以前メトロポリタン美術館のショップで売り子さんに勧められたのが、この時代にウォーホルがデザインした靴のイラストを集めたポスターでした。これがウォーホル?と思わず首をかしげてしまうほど繊細な線で描かれたイラストでした。



No.3

1962年にアーティストとして実質的なデビューを果たします。その時に発表したのが「キャンベル・スープ缶」です。当時販売されていた32種類のキャンベル・スープ缶をただ描いただけの作品です。

今なら誰しもが知るこの有名な作品も個展では6点しか売れませんでした。そのうちの1枚を購入したのが、俳優のデニス・ホッパーだったというのですから最もアートに先見の明がある俳優はデニス・ホッパーで間違いありません。

現在は6点買い戻され、32点そろった形でニューヨーク近代美術館に所蔵されています。


http://www.moma.org/collection/works/79809



No.4

ファクトリーと呼称した「絵画生産工場」で大量に量産されるウォーホル作品の中でも、最も売れたのが「花」1964年でした。

理由は簡単です。購入者が自宅に飾りやすい、つまりインテリアとして最適な作品だからです。またほぼ正方形の画面は上下がありません。少し見飽きたな~と思ったら90度回転させると違った趣となります。一度で二度美味しいどころか、一度で四種類の楽しみがある作品なのです。当然、ウォーホルはそうしたことを狙ってこの作品を作りました。

何が受けて、何が売れないかを若いころマスメディアの世界で培ってきたノウハウをここでまさに開花させたのです。


http://www.kirin.co.jp/company/news/2016/1018_03.html



No.5

飛ぶ鳥を落とす勢いの人気アーティストとなったウォーホルに突然災厄が降りかかります。1968年のことヴァレリー・ソラナスによって銃撃され瀕死の重傷を負いました。なぜ彼女(犯人)がウォーホルを撃ったのか定かではありません。(映画『アンディ・ウォーホルを撃った女』として映画化されています。)

入院を要するほどの重傷を負ったウォーホルが最も衝撃を受けたのが狙撃を伝えるニューヨーク・ポスト紙の一面を飾ったその日付でした。6月4日という日付は、彼が死をテーマとして制作した最初の作品「ジェット機で129名死亡」(ニューヨーク・ミラー紙一面記事)だったのです。

新聞紙面の他人の死を作品としていたウォーホルにとってこの奇妙な日付の一致は我々の想像をはるかに超えるショッキングなものだったに違いありません。


http://www.warholstars.org/1968.html



如何でしたか?
現代アートの巨匠、ポップアートの旗手とまるで神様のような扱いをされているアンディ・ウォーホルも自分の出自や容姿にコンプレックスを抱き、常に死の影に怯えていたことが垣間見られるエピソードだったのではないでしょうか。

これらのネタは全て宮下規久朗 先生の著書に記されているものです。カラヴァッジョ研究の第一人者である宮下先生ですが、日本で初めての本格的な「アンディ・ウォーホル展」を担当された一面も持っていらしゃいます。

日本のテレビCMにも出演していたり、マザコンであったりと他にもポップアートの巨匠のイメージとは乖離する話題が満載ですよ。




ウォーホルの芸術~20世紀を映した鏡~
宮下 規久朗 (著)

20世紀を代表する美術家であるアンディ・ウォーホル(1928-1987)は、生前における多方面にわたる活躍やメディアへの頻繁な露出から、これまで様々な流言飛語に曇らされ、毀誉褒貶に包まれていた。「孤独なトリックスター」の実像とは――。本書は、日本での大規模なウォーホル回顧展にも関わった美術史家が、ウォーホル芸術の意味と本質に迫り、それを広く美術史の中に位置づけた画期的論考である。