【90年前の東京の映像】大正時代の市電に今では考えられない禁止事項が!?

2016/11/8 21:30 服部淳 服部淳


どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回はなんと1926年に制作されたという映像をピックアップしました。1926年というと大正天皇が崩御され昭和へと改元された年。昭和元年は1週間しかなかった(12月25日~31日)ので、恐らく大正時代の映像だと考えられます(シリーズ主旨から外れますが)。


映像のタイトルは「公衆作法 東京見物」。当時の文部省が撮影したフィルムを、「東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)」が約7分に抜粋したもののようです。




「汽車の旅」という字幕に次いで映るのは、とある田園風景。水車が回るのどかな光景の中を3人組が歩いてきます。


画面右側にいる鍬を持った男性と出会う3人が、この映像の主人公となる方々のよう。音声も字幕も出ないので会話の内容は憶測になりますが、字幕タイトルからして、これから汽車で出かけるということを話しているのでしょうか。


「電車の昇降」という字幕が入ります。汽車での移動シーンは省かれているようです。


東京市電(後に東京都電)に群がる人々。カメラが気になる女性の姿も。

1926年ということで、1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災の3年後のことですが、だいぶ復興してきているように見えます。


乗降口が狭く、スムーズに乗り降りができないようで混雑しているようです。ここからは、「公衆作法」とタイトルにあるように、映像は人々のマナーがどうあるべきか伝えていきます。




まずは乗降口に立つお子さんの着物を直してあげるお母さん。気持ちは分かりますが……。字幕は「心なしの母親」と結構辛辣です。


「乱暴な乗客」といわれているのは……、






市電を追い掛け、飛び乗る乗客。さらにもう一人、横から手すりを掴んで乗り込もうとしています。速度は遅いとはいえ危険ですね。


映像冒頭に映っていた襟巻を巻いた男性の姿がありました。無事に東京に着いたようです。


マナー違反な乗り方の逆に「秩序ある乗り降り」として紹介されるのは……、


降りてくるお年寄りの手を引いてあげたり、


赤ちゃんをおんぶしたお母さんを優先して下ろしてあげる行い。現代の乗り物と比較すると、かなり段差が大きく、乗り降りが大変そうです。


その模範となる乗り降りを実行していたのは、中折れ帽を被ったこちらのお二人のよう。皆の乗車マナーについての会話を(字幕にて)始めます。


「このありさまはまるで社会の縮図だね」
「もう少し共同観念に目覚めてほしいな」


「そうだ。少し共同観念を加味してくれるといいのだ。」


「これは大きな問題だよ
見たまえ。そこにも競争心の強い男がいるよ。」


と、片方の男性が指差した先には、「競争心の強い」ということから車掌さんともめていたのか、車掌さんに追い出されそうになっている人がいます。


追い出された人は、走行中の市電から降りると転んでしまいました(飛び乗り乗車よりよっぽど危険な気がしますが)。


続いてやってきた困った乗客は、ジャッキー・チェン映画の悪役にいそうな巨漢の男性。人を押し分けやって来ると、両手で吊革にぶら下がり、女性の進路を妨害しています(恐らく困った乗客を演じてやっていることなのでしょう)。




女性の一人が外を指差すと、周囲も釣られて外を眺めます。残念ながらそこに何があったのかは分かりません。


再び、車内のマナー違反の人たちの紹介です。音声がないので分かりませんが、男性が大声を出しているのか、歌っているのかしています。


周囲の人は迷惑そうな表情。早速、車掌さんに注意されています。


こちらは、鼻くそをほじって、ポイっと投げ飛ばす男性。


他人(?)の肩の上に頭を乗せて寝ている少年。これはマナーというか仕方ない面も。


柄からして同じ少年でしょうか、着物がはだけて太ももが出てしまっています。


続いて映されるのは、車内の禁止事項。英語が併記されているのも驚きです。

「車内にてたんつばをはくこと」…当然ですね。

「たばこをのむこと」…まだまだ喫煙には緩い時代ですが、車内では禁煙でした。

「ふとももをだすこと」…なんとたった3つの禁止事項の1つがこれなんですね。ちなみに英語表記には含まれていません。


余談ですが、この映像制作の翌年である1927年(昭和2年)に開業する、日本初の地下鉄(現在の東京メトロ銀座線)車内の禁止事項は、「たばこをのむこと」「たん、つばをはくこと」「かほやてをまどからだすこと」の3つでした。


浅草にやって来たようです。


浅草寺の雷門のようです。震災後に仮設された門とのこと(参考資料)。ご存知の方も多いでしょうが、現在の雷門と巨大な提灯は、現・パナソニック創業者の松下幸之助が1960年(昭和35年)に寄進したものです(提灯はその後何度か新調)。


震災で壊滅した仲見世も、見事に復興されています(参考資料)。


映画館が建ち並ぶこの時代の大繁華街である通称「浅草六区」です。「三友館」、「富士館」といった映画館の名前が見えます。


再び市電に乗って移動でしょうか。遠くに火の見櫓と思われる塔が見えます。


上野の西郷隆盛像です。像自体は現在も変わらずですね。


案内役の男性も、西郷さんを見上げています。


高台から皆で街を見下ろし、映像は終了します。



7分弱と短いですが、大震災から復興したての街並みや、人々の恰好や髪型、そして車内で太ももを出すことが禁止されていた当時の風習など、興味深い場面が凝縮された映像でした。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家) ‐ 服部淳の記事一覧

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