【昭和21年の京都】カラーで見る終戦翌年の京都の貴重な街並み映像

2016/9/12 07:46 服部淳 服部淳

どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は日本における空爆の被害状況を調査したUSSBS(米国戦略爆撃調査団)によって撮影された、終戦翌年の京都を撮影したカラーフィルムを取り上げました。

映像は無音で、ナレーションも入っていませんが、US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)のウェブサイトに掲載されている詳細な撮影メモを参考にしています。
※動画はページ下部にあります。


まずは高台から撮影した京都市内の様子です。撮影メモによるとデパートの大丸から捉えたものだそう。ところどころにコンクリート製の建物が見えますが、ほとんどが木造の日本家屋です。


ひたすら同じような光景が映し出されます。日本のほとんどの大都市が空襲で焼けつくされたなか、京都には戦前の街並みの多くが残るため、日本の住宅地はどのくらい密集していて、その大半は木造であるということのサンプルとしての撮影でしょうか。


撮影メモには「木造家屋が両側にひしめく、とても狭い道(著者訳)」としか書いてありませんが、この映像が「米国戦略爆撃調査団」によるものだということを考慮すれば、ここに焼夷弾が落ちていればどうなっていたか……という撮影意図があったのではないでしょうか。


こちらは、同じく大丸百貨店から撮影した「四条通」だそう。電柱の左右には市電の線路らしきが見えます。


ここで1回目のカチンコが入ります。撮影はUSSBS(米国戦略爆撃調査団)によるもの、撮影日は5月28日、撮影場所は京都という情報がわかります。


続いては、住宅街に隣接する草むらを捉えていますが、「建物疎開」という、空襲による火災の被害を抑えるために強制的に建物が取り壊された跡のようです。京都市では、昭和19年(1944年)7月から20年3月までの間に1万2000戸が、この「建物疎開」によって取り壊されたそうです。


残された住宅地との境界線です。草むらになっている場所にも、以前はぎっしり家が建ち並んでいたのでしょうか。切り取った画像ではわかりにくいですが、映像を見ていると(2:00頃)、たくさんの自転車が行き交っています。


京都駅と東本願寺の間にあった丸物百貨店のビルのようです(現在の京都ヨドバシの場所)。昭和20~30年代にかけて発展し、東京をはじめ全国に進出していましたが、業績不振に陥り昭和50年代に「丸物」の名前は消滅しています。


こちらは京都駅前、塩小路道を東に向かって撮影しているようです。現在なら道路の左サイドに京都タワーなどが立ち並んでいますが、この見晴らしの良さです。


カメラが右方向に回転していくと右手に見えてくるのが京都駅。1914年(大正3年)から供用開始されていた2代目駅舎です。駅前広場はずいぶんとガランとしています。


さらに寄りで撮影。この2代目駅舎ですが、この映像の4年後となる1950年(昭和25年)11月18日に火災で全焼、原因はアイロンの不始末だったそうです。


さらにアップ。完成当時は日本最大の駅だったそうです。東京駅ほか、大正時代建築の駅は、それぞれ個性があって面白いですね。


駅前通りで市電を待つ人たちの様子です。かなり大勢が待っています。


左の市電が出発しますが、乗り込めずぶら下がって乗車する人の姿も見えます。


中央の大きな屋根は京都駅近くの東本願寺のもの。周辺には平屋の民家が建ち並びます。


左に見えるのは、再び丸物百貨店。百貨店前の空き地は、空襲に備えて取り壊されたものだそう。


京都駅周辺が再び収められていますが、撮影メモには「低い山に囲まれた京都のこのカットは、長崎や広島に原爆が投下される前はどのような感じだったかを示すのに適している。特に駅のあたりは、広島らしさを表している(著者訳)」と、撮影意図が記されています。




大丸百貨店から見た、住宅街や四条通の様子が捉えられます。




四条通でしょうか、市電の線路を修理しているところのようです。


着物を洗い張りしているところのようです。着物を洗濯する際には、いったん縫い目を解いて、このような反物状にして洗い、干します。


後ろの子供たちの髪型が時代を物語っています。


親子でしょうか、和装の女性が二人歩いてきます。




「二人の女性が歩いてくると、玄関から出てきた女性が迎え、典型的な日本の挨拶であるお辞儀をする」と撮影メモには書かれています。


お母さんと思われる女性が、娘を紹介します。




笑顔でお辞儀をする娘さんですが、お辞儀を終えると真顔でカメラの方を確認します。USSBS(米国戦略爆撃調査団)の映像で何度も見られる演出シーンでしょうか。


迎える側の女性のお辞儀は、撮り直しが入ります。




挨拶が終わると、無事迎え入れられます。


映像の最後の1分ほどは、京都を空撮したシーンが収められています。2000フィート(約610m)上空からだそうで、ときおり雲が映り込みます


瞬間カチンコが映りますが、空撮シーンのみ6月(JUNE)になっています。



USSBSが他の日本の都市を撮影した映像では、破壊された建物であったり、焼け野原になった市街地だったりを映し出したものが多いですが、空襲被害の少なかった京都では、戦前からの建造物や街並みを見ることができ、とても貴重な内容でした。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家) ‐ 服部淳の記事一覧

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【動画】「Kyoto, General Views WWII Damage, 05/26/1946 - 05/28/1946」