ミュシャの傑作中の傑作「スラヴ叙事詩」全20点、初来日決定!

2016/8/16 13:00 Tak(タケ) Tak(タケ)


アール・ヌーヴォーを代表する芸術家として誰しもが認めるアルフォンス・ミュシャ。彼が描いた優美な女性像は現在でも多くの人に愛されています。

ポスターや装飾的な美を追求した側面だけがクローズアップされがちなミュシャですが、実は祖国(チェコ)に対する思い入れが非常に強い人で、パリで成功しているにも関わらず、チェコへ戻り祖国のために後半生を捧げました。



アルフォンス・ミュシャ《1918-1928:独立10周年ポスター》 1928年 堺市


《アルフォンス・ミュシャ 略年表》

1860年 アルフォンス・ミュシャ、オーストリア領のモラヴィアのイヴァンチツェに生まれる。
1887年 クーエン伯爵の援助でパリに移る。
1894年 サラ・ベルナール主演の舞台『ジスモンダ』のポスターを制作。
1900年 パリ万国博覧会のボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾を担当する。
1904年 アメリカに招かれ、上層階級の人々の肖像画を描く。以降、たびたび渡米。
1910年 故郷チェコに戻る。
1911年 ズビロフ城のアトリエで《スラヴ叙事詩》の制作に着手する。
1918年 オーストリア=ハンガリー二重帝国が崩壊し、チェコスロヴァキア共和国が成立。
1919年 プラハのクレメンティヌム・ホールで《スラヴ叙事詩》5点が展示される。
1920-21年 アメリカ、シカゴとニューヨークで《スラヴ叙事詩》5点が展示される。
1928年 プラハの見本市宮殿で《スラヴ叙事詩》全20点が展示される。
1939年 プラハにて死去。



故国チェコに戻った後に描いた作品の中でも最もインパクトがあり、ミュシャの想いが込められた大作が《スラヴ叙事詩》です。


アルフォンス・ミュシャ《スラヴ叙事詩「原故郷のスラヴ民族」》 1912年 プラハ市立美術館 ©Prague City Gallery


全20枚から成る《スラヴ叙事詩》は壁画ではなくテンペラ技法でカンヴァスに描かれています。20枚それぞれのサイズがまちまちなのは、第一次世界大戦の影響が大きかったと言われています。そうした逆境もまたミュシャの心に火を付けたのでしょう。

“ミュシャは自由と独立を求める闘いを続ける中で、チェコおよびスラヴ民族の歴史から主題を得た壮大な絵画の連作を創作することを決意します。1910年に50歳でチェコに戻ったミュシャは、翌年、プラハ近郊のズビロフ城にアトリエを構え、《スラヴ叙事詩》の制作に取り掛かり、1928年、チェコスロヴァキア独立10周年を祝して、完成した連作全作品をプラハの見本市宮殿で公開しました。”



アルフォンス・ミュシャ《スラヴ叙事詩「スラヴ民族の神格化」》 1926-28年 プラハ市立美術館 ©Prague City Gallery


これまで「ミュシャ展」は数多く開催され、展覧会のたびに大きな話題となり、大勢の人にミュシャ芸術の素晴らしさ、美しさを伝えてきました。

ところが、ミュシャの傑作中の傑作である《スラブ叙事詩》はこれまで一度も日本にやって来たことがありません。理由は明確です。作品が大き過ぎるのです。

《スラブ叙事詩》は前述したようにそれぞれサイズはまちまちですが、小さな作品であっても軽く2メートルは超えます。そして最も大きな作品となると縦6メートル、横8メートルという近代絵画では考えられないほどの巨大なサイズなのです。


《スラヴ叙事詩》を制作するアルフォンス・ミュシャ、ズビロフ城アトリエにて、1923年


そしてまた、あまりにも巨大な20枚の作品はチェコでも扱いに難義し、つい近年まで公開もままならない状態だったのです。

“《スラヴ叙事詩》は1928年にプラハ市に引き渡される時、これを常時展示する専用のスペースを作ることが条件とされたが、その条件は果たされず、特に社会主義時代にはこの作品は冷遇され、展示されることもほとんどなかった。ようやく戦後の1960年代に入り、モラヴィアのクルムロフ城に全20点が展示さていた。しかし、アクセスの悪い所で、ミュシャとパトロンのクレーンが望んだようにプラハ市に安住の地を得ることが久しく望まれていたが、最近、作品はすべてプラハ市に集められ、現在ようやくその第一歩を踏み出したところである。”
ミュシャ作品集―パリから祖国モラヴィアへ』より。


前置きが長くなりましたが、この《スラヴ叙事詩》が何と日本で観られるのです!しかも20作品全てが!!パネル展示や写真展示ではありませんよ。本物がチェコからやってくるのです。これははっきり言って事件です。

展覧会を長く見続けて来ましたが、まさか《スラヴ叙事詩》を日本の美術館で観られる日が来ようとは夢にも思いませんでした。待てば海路の日和ありとはまさにこのことです。


「ミュシャ展」
会期:2017年3月8日(水)~6月5日(月)
休館日:毎週火曜日
開館時間:午前10時~午後6時(毎週金曜日は午後8時まで)
※入場は閉館の30分前まで
会場:国立新美術館企画展示室2E(〒106-8558東京都港区六本木7-22-2)
(会場HP:http://www.nact.jp/)
主催:国立新美術館、プラ八市、プラ八市立美術館、NHK,NHKプロモーション、朝日新聞社
協賛:日本写真印刷
特別協力:堺市
監修:ヴラスタ・チハーコヴァー(美術評論家)
本橋弥生(国立新美術館主任研究員)
展覧会公式サイト:2016年9月上旬、公開予定

アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の一人、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)は、モラヴィア(現在のチェコ共和国)に生まれ、27歳でパリに渡って活躍しました。その後、50歳で故郷に戻ったミュシャが、それまでのスタイルと大きく異なる手法で、丹念な取材と故郷への強い想いに基づいて後半生を賭けて描いたのが、《スラヴ叙事詩》です。古代から近代に至るスラヴ民族の歴史が象徴的に描かれ、縦6m×横8mに及ぶ巨大な油彩絵画20点で構成されるこの壮大な連作は、ミュシャの画業の集大成と右言われ、チェコの宝として国民に愛されています。
「ミュシャ展」では、この《スラヴ叙事詩》をチェコ国外では世界で初めて、全20点まとめて公開します。パリで活躍していたミュシャが故郷で《スラヴ叙事詩》を描くに至るまでの足跡を約100点の作品を通じてたどりつつ、ミュシャが晩年に手がけた傑作の全貌を一挙、紹介します。


アルフォンス・ミュシャ《スラヴ叙事詩「東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン」》 1926年 プラハ市立美術館 ©Prague City Gallery



【展示構成(予定)】
1:スラヴ叙事詩
2:ミュシャのアール・ヌーヴォー
3:世紀末の祝賀
4:民族独立への奮闘



第一次世界大戦をはさみ1912年~26年にかけて制作されたミュシャ畢生の大作《スラヴ叙事詩》をまず展覧会の冒頭に持ってくるあたり、気合の入れ方が違います。

ミュシャはこんな言葉を残しています。「これら過去の栄光と悲惨を描くうちに、私は私自身の国とすべてのスラヴ民族の喜びと悲しみを思うようになった。スラヴ民族のこの短い叙事詩を完成するうちに、スラヴ民族全体の歴史を描こうという考えが私をとらえた。私にとってそれは、すべての人々の魂に差し込む偉大で輝かしい光であった。」

パリ、ヨーロッパのみならずアメリカでも芸術家としては申し分のない名声を手に入れたミュシャを、50歳にして突如故国チェコに戻らせたのはまごうことなき「故国への想い」だったのです。

夢って叶うものなのですね。さぁ、今からしかと準備しておきましょう。今年の「若冲展」を凌駕する展覧会になること確実です!




ミュシャ作品集―パリから祖国モラヴィアへ