RUN DMCだけじゃない!80~90年代ミュージシャンとスニーカーのコラボ史
ハイテクモデルに復刻版、ファッションブランドとのコラボ…。現在、巷には多種多様なスニーカーがあふれています。そんなスニーカー文化の成立過程を、業界のキーパーソンたちの証言で紡いだ『東京スニーカー史』(立東舎、著・小澤 匡行)が好評です。
メンズノンノのスニーカー特集を担当することも多いエディター・小澤匡行さんが、書籍を出版!→https://t.co/f52LbJjxwh
— MEN'S NON-NO (@MENSNONNOJP) 2016年3月29日
『東京スニーカー史』、売れてます! pic.twitter.com/w72HkCiKV5
この本でも触れられている通り、もともとスポーツ用品として誕生したスニーカーは、その時代時代のテクノロジーやカルチャーを吸収し、次第にストリートに欠かせないアイテムへと進化してゆきます。なかでもミュージシャンたちがスニーカーに与えた影響は絶大でした。現在、ナイキ、アディダスをはじめとした著名ブランドがこぞってミュージシャンとのコラボスニーカーをリリースしていますが、その源流は80年代後半~90年代前半にすでに存在していたのです。
そこで今日は30年前にさかのぼり、有名なモノからそうでないモノまで、スポーツブランドとミュージシャンのコラボ黎明期をふりかえります。この春のスニーカー選びにまったく役立たないこと間違いなし!
■RUN DMCがもたらしたオールドバッシュブーム
1987年:アディダス × RUN DMC
ミュージシャンとスポーツブランドのコラボの元祖的存在。RUN DMCがアディダスのジャージ上下にバッシュ「スーパースター」をコーディネートしたことから、ストリートでのアディダス人気が急激に高まります。
もともとアディダスはドイツの会社。米国でギャングのような風体のミュージシャンが勝手に「マイ・アディダス」という歌を歌っているらしい、ということを耳にし、当初は訴訟も検討したようです。が、彼らのライブに招待され、ファンの熱狂を目の当たりにすると態度を一変。1987年にはRUN DMC専用モデル「ブローハム」「ウルトラスター」を発売するに至りました。
■あのマイケル・ジャクソンとのコラボを実現したLAギア
1989年:LA Gear × マイケル・ジャクソン
新興ブランドながら、当時急速にシェアを伸ばしていたのがLAギアです。FASHION ATHLECTIC FOOTWEARというブランドコンセプト通り、軽快さとファッショナブルさを両立させたデザインのシューズで一世を風靡します。そして1989年、LAギアはあのマイケル・ジャクソンと総額750万ドル(当時)の契約を結び、コラボスニーカーを発売します。
1989年:LA Gear × ベリンダ・カーライル
Belinda Carlisle for L.A. Gear, 1989. pic.twitter.com/hzSVM0FfnC
— Vintage Ads (@VintageAdz) 2015年10月8日
LAギアの勢いはとどまるところを知りません。「Heaven Is a Place on Earth」で大ヒット歌手となっていたベリンダ・カーライルとも契約し、ブランドをおおいにアピール。
■2大ブランドが繰り広げたポーラ・アブドゥルの争奪戦
1989年:Reebok ×ポーラ・アブドゥル
競合も黙っていませんでした。当時フィットネスシューズでシェア首位だったリーボックは、元NBAロサンゼルス・レイカーズのチアリーダーで、歌手デビュー直後だったポーラ・アブドゥルと契約し、女性へのプロモーションを強化します。
1991年:LA Gear ×ポーラ・アブドゥル
ところがおよそ2年後、LAギアがおよそ1200万ドル(当時)という一流スポーツ選手なみの契約金でリーボックからポーラを奪取。当時の彼女は、とある雑誌のランキングでなみいる女優をさしおき「最もキスしたい女性」に選ばれるほどの人気者でした。
■あの一発屋ラッパーはナイキに喧嘩を売っていた!
1990年:BRITISH KNIGHT × MC ハマー
同じころ、米国の都市部でニッチな支持を集めていたブリティッシュナイトは、ラッパーのMCハマーを起用した一大キャンペーンを展開。ハマーは「Your Mother wears NIKE!(おまえの母ちゃんナイキ履いてるぞ)」と言い放ち、ナイキのことを”みんなが履いていてクールじゃないブランド”としてディスります。
■ナイキとほかのブランドを分けたのは…
1990年:NIKE アンドレ・アガシ × レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
もちろんナイキも、音楽をいち早くプロモーションに活用していました。なにを隠そうナイキは1987年、世界で初めてあのビートルズの楽曲(「レボリューション」)をCMソングとして使った会社です(その後、ポール、ジョージ、リンゴから「勝手に使うな!」と裁判を起こされてますが)。
ナイキがユニークだった点は明確です。他社がミュージシャンその人にスニーカーを宣伝させたのに対し、ナイキのCMではあくまでもスポーツ選手が主役。ミュージシャンや音楽は、それを引き立てる存在でした。
■いっぽうそのころ日本のブランドは…
1992年:ASICS × L.L BROTHERS

画像提供:Flattophitop!
1990年、「天才・たけしの元気が出るテレビ」内でスタートした「ダンス甲子園」の影響で、日本にもダンスブームが到来。1992年、アシックスはL.L BROTHERSと契約し、ダンスにも適したストリートシューズ「ジェレイション」を投入。最上位機種の「ジェレイション I」は、同時期にリリースされたナイキ・エアジョーダン7と同じ2万1000円という強気の価格設定でした。
1992年:MIZUNO × 中村あゆみ
ミズノは1991年、ストリート用に「メガヘルツ」を発売。当初はロックバンド「コルベッツ」が“イメージプレゼンター(=CMキャラクター)”に選ばれたのですが、1年後、なぜだか中村あゆみにバトンタッチ。それまでの彼女のイメージとはちょっと違うダンサブルなCMソングは「Jin Jin Jin」です。
「ビートする君に、ライブな街のストリートシューズ。」というキャッチコピーに、時代の空気を感じます。
■まとめ:あのころがあって、今がある。
カニエ・ウェスト×アディダス、ドレイク×ナイキを筆頭に、ここ数年、ミュージシャンとスポーツブランドのコラボが花盛りです。その原点には、80~90年代にかけての各社の試行錯誤がありました。この週末スニーカーを履いて外出される方は、そんな歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。馳せないか。
余談。LAギアは1992年、「日本のマイケル・ジャクソン(諸説あります)」こと田原俊彦ともコラボ。ただしスニーカーではなく、ダイハツ シャレードを介したコラボでした。
1992年:L.A. Gear ×ダイハツ シャレード×田原俊彦
トシちゃん、オチに使ってすみません。
(バブル時代研究家 DJGB)