デビッド・ボウイ人生初のCM出演は日本だった!【大物外タレ80年代CMまとめ】
1月11日、ジギー・スターダストことデビッド・ボウイが星になりました。
1月8日はデビッド・ボウイの誕生日
David Bowie (1947-)
1980年京都で
Kyoto 1980 Masayoshi Sukita pic.twitter.com/wQ6wnABAN6
— History Image (@HistoryImg) 2016, 1月 7
1980年、当時まだイギリスのカルトなロックスターであったボウイは、宝酒造の焼酎「純」の日本国内向けTVCMに出演し、大きな話題を呼びます。このCMを見た映画監督の大島渚が「戦場のメリークリスマス」への起用を決めた、というエピソードもあるほど。
■1980年 宝酒造 純、“時代が変わればロックも変わる” 出演:デビッド・ボウイ
ボウイにとってはこれが人生で初のCM出演。撮影は宝酒造が本社を構える京都で行われました。CM中で彼が着用している白いシルクのシャツは、撮影のために特別に用意されたもの。200万円もするシャツをボウイは平然と着て帰ってしまい、周囲は大変な騒動だったそうです。
海外では、ともすればCM出演は“売れないタレントがやる仕事”というイメージも強かった時代。宝酒造はこのボウイのCMを皮切りに、ジョン・トラボルタ、ボーイ・ジョージ、シーナ・イーストンといったメジャーな外タレを次々と自社のCMに起用し始めますが、出演交渉では「本当にボウイが出たのか!?」よく聞かれたそうです(参考記事:エンタメステーション「ボウイの隣にいた男たち」)。
80年代、好調な日本経済を背景に、多くの大物外タレたちが日本のお茶の間をにぎわせてくれました。そのきっかけのひとつは、この宝酒造のボウイのCMだったのです。
そこで今回は、「えっ!そんな人も!」という外タレの日本限定CMの歴史を、特にミュージシャンにしぼってふりかえります。
●外タレの日本限定CMの歴史 ミュージシャン編
■1983年 宝酒造 純、“日、出ヅル国ノ、宝物。” 出演:シーナ・イーストン
デビッド・ボウイ、そしてなぜか西遊記のコスプレをさせられたボーイ・ジョージの後を受け、焼酎・純のCMに起用されたのは、すでに「モダンガール」などで日本でも人気歌手となっていたシーナ・イーストンでした。
■1983年 ニッカウヰスキー 黒の、50 “マイルド世代のウィスキー” 出演:ロッド・スチュワート
ヒョウ柄のスパッツもまぶしいロッド・スチュワートが、今となっては珍しいアイドル的な表情をふりまくCM。おそらくはイギリスという情報を伝えるためにサッカーをさせられているんでしょうか。
■1984年 サントリー ウィスキー Q 出演:デュラン デュラン
イギリスからもう一組。若者向けにウィスキーを訴求しようとすると、出自がイングランドだろうとスコットランドだろうと、とりあえずイギリス出身のミュージシャンを使おうか、というアイデアが出てくるんでしょうね。
■1986年 アサヒ飲料 シュウェップス 出演:リンゴ・スター
こちらもイギリス=ビートルズの発想が色濃くにじむ起用です。
余談ですがリンゴは1996年、リンゴジュース「すりおろしりんご」のCMに出演し、「りんごすった」のダジャレで往年のビートルズファンを腰砕けさせます。起用したのは、やはりあの宝酒造(当時は清涼飲料水事業も手掛けていた)でした。
■1984年 TDK カセットテープ AD 出演:スティービー・ワンダー
先ごろ30年ぶりにTDKのCMに出演したことも話題となったスティービー・ワンダー。30年前のCMが壮大なロケを駆使しているのに対し、最新のCMはスタジオ収録、というところに時代の流れを感じます。
■1985年 ナショナル ハイファイ マックロード 出演:ジャネット・ジャクソン、中村雅俊
「お兄ちゃんがダメなら妹で…」ということでもないでしょうが、ジャネットはたびたび日本企業のCMに起用されています。このCMに使われた楽曲「Start Anew」は、日本でのみリリースされました。現在では実現不可能であろう、ジャネット・ジャクソンとゆうひが丘の総理大臣のコラボダンス。つまり中村雅俊は日本のジャスティン・ティンバーレイクと言えなくもありません。このあとナショナルは同じくマックロードのCMに、プリンスの秘蔵っ子として売り出し中だったシーラ・Eも起用しています。
■1984年 ニコン ピカイチAD 出演:ラトーヤ・ジャクソン
「弟がダメならお姉ちゃんで…」ということでもないでしょうが、決して歌手としてヒットしていたとはいいがたいラトーヤのムーンウォークは、はたしてお茶の間にどのくらい響いていたのでしょうか。1987年には日本で本田美奈子とジョイントコンサートを開催。1989年にはジャクソン一家で初のヌードを披露し物議をかもします。
■1987年 三菱電機 ハイファイビデオ 出演:マドンナ
ナショナルがジャネットで来るなら、対抗するにはこの人しかいません。三菱電機は1987年に後楽園球場などで開催されたマドンナの「Who's That Girl Tour」にも全面協賛しています。3年後、CMキャラクターは当時NFLのスーパースターだったジョー・モンタナと、3Mの一角である牧瀬里穂に切り替わります。
一方のマドンナは1995年、やはり宝酒造が「純レジェンド」のCMに起用します。
■1989年 サンヨー S-VHSビデオデッキ 出演:ホイットニー・ヒューストン
ジャネット(ナショナル)、マドンナ(三菱電機)と来たら、サンヨーはホイットニーを起用。おそらく当時、最も録画したいもののアンケートの上位に「アーティストのコンサート」とかあったんでしょうね。
同じころパナソニックは「コブラトップ」のCMに福山雅治を起用し、ソニーとのバブルラジカセ対決を制します。外タレ至上主義の終焉が近かったことを感じざるを得ません。
●まとめ
大物外タレたちが日本のお茶の間を“特別扱い”してくれた時代 80年代は、好調な日本経済と強い円を背景に、大物外タレたちのCM出演が相次ぎました。ミュージシャン以外にも「歯槽膿漏にはマッケンロー(佐藤製薬 アセス、ジョン・マッケンロー)」、「カッコインテグラ(ホンダ インテグラ、マイケル・J・フォックス)」、「ダイジョーV(タケダ アリナミンV、アーノルド・シュワルツェネッガー)」など枚挙にいとまがありません。
本人たちにとってはほんのお小遣い稼ぎだったかもしれませんが、日本のお茶の間でCMを見ている私たちにとっては、海外の新しいトレンドを知るきっかけであったと同時に、豪華さと、ちょっとした誇らしさを感じられる瞬間でもありました。
日本企業のCMを通じて、世界を知ることができる。つまりそれは日本の経済が強い証拠でもあります。
またこんな時代が来てほしいですねえ。
(バブル時代研究家 DJGB)