今ではアウトの表現も!?約50年前の新聞広告がいろいろ楽しい

2015/11/20 16:07 服部淳 服部淳


自動車

■トヨタ自動車
・パブリカ デラックス(トヨタ自動車)

自動車広告の1つ目は、特急列車と東京~大阪間の費用を比較したトヨタ「パブリカ デラックス」から。後ろを走るのは、この年(1964年)10月に新幹線が開通すると共に廃止になった特急「こだま」号でしょうか。パブリカはリッター辺り24kmを走り、当時のガソリンは1リットル45円、一方で特急利用は2等席に大人4人が乗った場合での比較で、パプリカのほうが約7分の1の値段だとうたっています(なお、車の本体価格は含まれていない模様)。

・トヨペット・クラウン(トヨタ自動車)

続いては、純国産自動車として1955年(昭和30年)に誕生したトヨペット・クラウンの2代目モデルの広告。今では当たり前ですが、マニュアルギアやクラッチを使わず、アクセルだけでギアのコントロールができたのは、この広告当時ではクラウンだけだったそうです。6人乗りとなっていますが、前座席、後部座席にそれぞれ3人乗れるようになっていました。

・トヨタ オートローン(トヨタ自動車)

こちらは自動車本体ではなく、ローンの広告。左から「クラウン」、「コロナ1500」、「パブリカ」でしょうか。60年代の日本車はカッコイイ。



■日産/プリンス
・ブルーバード(日産自動車)

2001年まで販売されていた、前年(1963年)9月に発売された2代目ブルーバードの広告です。「月間販売台数8000台“走るベストセラー”」、「5人乗り乗用車の60%を独占」といかに売れている車かを強調しています。月間6000台を売ったトヨペット・クラウンは6人乗りなので、5人乗りに限定しているところがなかなか上手です。

・セドリック(日産自動車)

こちらも2004年で製造が中止された日産・セドリック。トヨペット・クラウンに対抗すべく日産の高級セダンとして1960年に発売された初代モデルの広告です。後ろ席専用ヒーター搭載に、後部座席に重役を乗せたような広告画像から、自家用よりも公用車をイメージしていたのでしょうか。

・スカイライン(プリンス自動車工業)

1966年(昭和41年)に日産自動車と合併したプリンス自動車工業が、1957年に発売したスカイラインの2代目モデル。日本屈指のスポーツカーである「NISSAN GT-R」に繋がる系統ですが、2代目当時は「高級ファミリーカー」として販売されていました。

・グロリア・スーパー6(プリンス自動車工業)

セドリックの姉妹車として、そしてセドリックと同じ2004年に製造が中止されたグロリアの広告です。広告内容は、2代目グロリアの上位モデルである「スーパー6」が、ドイツ最大の週刊誌「QUICK」に賞賛されたというもの。



■その他のメーカー
・ベレル(いすゞ自動車)

2002年(平成14年)に乗用車事業から撤退し、現在ではトラックやバスなど商用車に特化しているいすゞ自動車が販売していた乗用車の広告です。この前年(1963年)に日本初の高速国道として「名神高速道路」の栗東~尼崎(全長71km)が開通、最高制限速度が時速100kmと設定されました。その名神高速道路を走行する姿を掲載、スポーツカー並みの同車の最高時速145kmをアピールしています。同じく広告に最高時速を表示している他車と比較してみると、トヨタ「パブリカ」が時速110km、新三菱「コルト1000」が125kmなので、並外れているのが分かります。

・ファミリア(東洋工業)

同じく名神高速道路を走行する姿を掲載しているのは、1984年(昭和59年)にマツダに社名変更をした東洋工業の「ファミリア」初代モデルの広告です。前年(1963年)10月に発売されたばかりでした。こちらは最高時速の表示はありませんが、スポーツカー並みの高速性能をうたっています。

・コルト1000/コルト600 デラックス(新三菱重工業)

終戦後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が財閥を解体した際、三菱重工業は3社に分割され、三菱の名を外され改名されましたが、そのうちの1社「中日本重工業」が、1952年(昭和27年)に平和条約発効により日本の主権が回復したことで三菱の名前を戻し、「新三菱重工業」と名乗っていた時代の広告です。右上には「新三菱」のロゴが入っています。この広告の年に分割された3社は再統合し、三菱重工業と旧名に戻しているので、「新三菱」最後の年でもありました。

・コンテッサ(日野自動車)

こちらもいすゞ自動車同様、現在はトラック・バスといった商用車の生産に特化している日野自動車が、1966年(昭和41年)にトヨタ自動車と提携する前まで製造していた貴重な乗用車の広告です。広告内の車には子供1人を含め5人乗っていますが、かなり窮屈そう。

・カーステレオ(大興電機製作所)

最後は車ではないですが、カーステレオの広告。切れ目の入った画像は、ジャズミュージシャンのルイ・アームストロングでしょうか。それまでカーラジオはあったものの、テープが聴けるカーステレオはこの製品が日本初だったとか。国産のカセットテープが最初に発売されたのは1966年(昭和41年)のことですが、1962年にオランダのフィリップ社が発売しており、輸入品のステレオテープを使っていたようです。驚くのはそのテープの値段。30分もので3100円、1時間もので4350円だそうです(大卒キャリア官僚の初任給が1万9100円の時代)。



4回にわたって紹介してきました昭和39年の新聞広告まとめ、いかがでしたか? 東京オリンピック開催で一気に売れた「カラーテレビ」があり、「世界」を意識したお菓子の広告があり、長嶋・王といった野球界のスターが彩った栄養ドリンクの広告があり、日本の経済をささえてきた自動車広告があり、半世紀前の日本の世相が垣間見られかと思います。引き続き、昭和の歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)

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