早見あかり『JAL浪漫旅行』のルーツ。バブル期の人々をオキナワに誘った「JAL沖縄キャンペーン」

2015/10/7 11:00 DJGB DJGB




9月中旬から、女優・モデルの早見あかりさんを起用した、JALの新しいキャンペーンがスタートしています。この浪漫旅行というキャンペーン名にニヤリとしたアラフォー世代も多いはず。そんなわけで今回は、季節はずれのオキナワ特集、1987年から6年間のバブル絶頂期にみる「JAL 沖縄キャンペーン」の歴史です。

■1987年、JALは1985年の大事故以来セーブしていた宣伝活動を本格的に再開します。

この年、総合保養地整備法(リゾート法)が施行され一大リゾートブームが巻き起こった時代でした。「働き過ぎの休みベタ」、そんな日本人に“リゾート”を教えるために起用されたのが、当時ラジオパーソナリティとしてヤングに絶大な人気を誇っていた三宅裕司でした。

●1987年 JAL あったから島 沖縄
キャッチコピー:「何をするにもちょうどよい」

このほか、チャゲ&飛鳥の「SAILER MAN」をCMソングにした夏キャンペーンも展開されました。


●1988年:『いつか何処かで(I FEEL THE ECHO)』by 桑田佳祐
キャッチコピー:「なんでも できるはずなのに、なんにもしないでいる。」

この年、ニッサンは「くうねるあそぶ。」のコピーとともにセフィーロを発売し、新語・流行語大賞には「花木(ハナモク)」が銀賞に輝きました。


●1989年:『太陽の領域』by 矢沢永吉
キャッチコピー:「若い海、若い時、僕達にピッタリのオキナワ」

時代は昭和から平成へ。流行語大賞の銅賞には牛若丸三郎太の「24時間戦えますか」が輝きます。
うしろを歩くブーメランパンツの片方が風間トオルであることには気づかないふりをしてあげるのがオトナのたしなみ。


●1990年 曲は『浪漫飛行』by 米米CLUB
キャッチコピー:「夏離宮、90年のオキナワ」

もともと1987年のアルバムに収録されていた楽曲で、当初から航空会社のCMオファーを狙って作ったものだそう。CMへの採用決定と同時にシングルカットされた『浪漫飛行』は、累計170万枚を売り上げる米米CLUBの代表曲になりました。のちにメンバー自身でさえ「意味不明」と評する『浪漫飛行』のPVも兼ねたCM映像は、今見ると、、、やっぱり意味不明です。

この年、国内旅行開発株式会社は第一ブランドを「日航ジェットプラン」から「JAL STORY」に変更。最終的に1993年には社名を「株式会社ジャルストーリー」へと変更するにまで至ります。この夏離宮キャンペーンには、JAL STORYブランドを浸透させる狙いもありました。


■時を同じくしてJALはCI(コーポレートアイデンティティ)を実施、長年親しまれた鶴丸に替え、ランドー・アソシエイツによる新ロゴを導入します。翌年には海外ツアーの「ジャルパック」を「I'll(アイル)」へと改称。『90年代の主翼』として、拡大路線をひた走ります。

●1990-1991 冬 曲は『永遠の翼』by 久保田利伸
キャッチコピー:「寒いの、キライ。」

『永遠の翼』の発表も1988年。『浪漫飛行』もそうでしたが、CMにしっくり来る曲を探してチョイスする、という今では珍しくなったスタイル。アーティスト側も、企業からのオファーを待つ余裕があったんですかね。


●1991 『愛よりも青い海』by 上々颱風
キャッチコピー:「キラキラの島々に出会う、上々沖縄。」

シャンシャンタイフーン、というバンドとこの『愛よりも青い海』に聞き覚えがある方は多いかもしれませんが、このCMに出演しているのが『上々颱風』その人たちであることは、意外と知られてません。


●1992 『LOVE SONG』by チャゲ&飛鳥
キャッチコピー:「あの人の眼の中の海で泳ぎたい」

チャゲアスとJALのゆかりは深く、もとをたどれば石川優子&チャゲの「ふたりの愛ランド」も1984年のJAL沖縄ツアーのキャンペーンソングでした。翌1993年、チャゲ&飛鳥はJALの企業CMキャラクターにも起用されます。

いやあ、お金があるって、本当に素晴らしいですね。
もともと国内のリゾート開発が進んだ背景には、好景気による開発ブームに加え、米国からの内需拡大圧力がありました。千昌夫よろしく、ありあまる“ジャパンマネー”の運用先として海外不動産を買いあさると、投資先の国とのいらぬ摩擦を引き起した時代。いろいろ言われるなら国内に、という思惑が、オキナワ開発を加速させたようです。

1994年、JALは沖縄を単品(?)で訴求するのをやめ、ハワイ、グアム、サイパンなどのリゾート路線をまとめてPRする『リゾッチャ』キャンペーンへと転換します。キャンペーンガールの『ミスリゾッチャ』は、父親がJALの社員でもあり、後にハウス スープスパゲティのCMで『アイムスープスパゲター』を自称することになる木村佳乃でした。一方その頃ANAはと言えば、森高千里が「き~め~た、オキナワの海にし~よう~」と歌っていたわけですが、それはまた、別の、おはなし。

この秋、浪漫旅行しようとお考えのみなさん、JALの沖縄線機内では、あの曲のスペシャルバージョンがたのしめますよ! Don’t Miss It!!

石井竜也氏がリメイクした「浪漫飛行 ~Dream version~」で旅を演出(JALプレスリリース)


(バブル時代研究家 DJGB)