手は旅をする~粘土との出会い~

2015/6/26 09:30 鴻池朋子 鴻池朋子

私は2011年の東北の震災の日に個展を東京でしていまして、大きな二段重ねの襖絵の作品が画廊の壁から落ちて、ふわりと床にランディングしたんですね。

その時、それまでやってきたようなことはぜんぶ捨てちゃおうかなあとふと思ったんです。余震のたびに心臓がどきどきして、体を縛っていたものがその振動でちぎれていくように感じましたよ。何度も何度も余震が続いたので、体のあらゆる結界がちぎれていったのか、内奥に蓄積されていたものが吹き出したのか。

雑駁にいってしまえば、それからなんだか気持ちが軽くなって、こういう場所から抜けだそうと思ったんです。



アトリエ風景より (C)Tomoko Konoike

で、今回は突然素焼きの粘土です。とにかく手が動くままに、土を握り、形ができ、それを素焼きし色をつけただけのもの。小学校の図工と同じ感じ。まあ、誰がつくったかわからない形ですし、だれでもつくれるようなものですよ。

粘土は初めてですが、一年前くらいにそれまでの“作品ぽい”ものに興味を失っていたときに、それでも何かできないかなあと迷い彷徨っていた時に破れかぶれで触ったものです。全く違う素材しか信頼できない感じだったせいもあります。なぜなら同じ画材だと慣れのような依存のようなものがでてくるから。

で、たまたま粘土だったんですよ。粘土は握れば形になるから、何か自分以外の力でやってるようで、いい加減な感じなのがよいんですね。形にするという方向より、崩す感じ。出たとこ勝負のようなもんですよ。


アトリエ風景より (C)Tomoko Konoike



アトリエ風景より (C)Tomoko Konoike

たくさんの顔、土に、眼と鼻と口の穴が穿たれただけの顔、面です。それに水彩で色を塗ると素焼きの土に色水はどんどんにじんで染み込んでいって、気持ちがよかった。土を握って焼いて色をつけて、そしてまた次の土を握る、考えない遊び。



アトリエ風景より (C)Tomoko Konoike



アトリエ風景より (C)Tomoko Konoike

土を細くすれば蛇になるし、丸めれば石のようになるし、初発の動作を育んでくれるような感じで。

なぜそうするのか、というと、多分何かそういうものが自分に心底足りないから、欠落を補おうと欲しているのだと思いますよ。