江戸時代にデジタル画を描いた300年先を行く絵師、伊藤若冲

2015/5/26 11:00 Tak(タケ) Tak(タケ)


若冲ってご存知ですが?「わかおき」じゃないですよ、これで「じゃくちゅう」と読みます。さんずいの「沖」ではなく、点の一つ少ない、にすいの「冲」です。(ここテスト出ますよ、間違えないように!)。



伊藤若冲(1716~1800)今から300年前の江戸時代中頃に京都で活躍した絵師です。同じ時代に円山応挙がいますが、当時京の街で人気を二分するほど名の知れた存在だったそうです。

でも、30代以上の方、日本史の教科書に応挙は図版入りで紹介されていましたが、若冲は載っていませんでしたよね。

今でこそ展覧会タイトルに「若冲」と付けば来館者何倍にもなる日本美術史界の「キラーコンテンツ」ですが、辻惟雄先生が『奇想の系譜』で若冲を「発掘」するまでは日本美術史の中で忘れらた存在でした。

若冲の何が今そんなに注目をされているのか、ポイントは幾つかあります。その中でも最大の魅力は「他にこんな絵見たことない!」直感的に絵を観ただけビビッと来るものを持っている点ではないでしょうか。

絵に興味関心のない人でも「これは!」と唸らせる力と迫力とそしてウィットに富んだユーモアのセンスを持っています。しかも作品の種類・技法が多種多様。絹本に岩絵の具を用いて伝統的な日本画のスタイルで堂々と描いた作品や、さらっと墨で軽妙に描いた作品や、はたまた版画などいずれも魅力的なものばかりです。


http://www.yamatane-museum.jp/nihonga/


その中で最も注目を集めているのが、他の絵師が誰も試みていない、若冲オリジナル「枡目描き」でしょう。2000年に京都国立博物館で初めて開催された「若冲展」図録で最初に紹介されているのが枡目描きで描かれた「白象群獣図」です。



「枡目描き」と言うよりも「モザイク画」と表現した方がピンとくるかもしれません。几帳面に画面をひとマス、ひとマス丁寧に色を重ねています。これだけでも驚きですが、拡大して観ると更にそのひとマスの中に小さなマスが規則正しく描かれていることが分かります。驚きを通り越して少し呆れてしまいますよね。一体この作品描くまでにどれくらいの時間を要したのでしょう。



どこからこうした作品の発想が生まれたのか、定かではありませんが、一説によると西陣織の下絵であり、設計図でもある「正絵」からヒントを得たのではと言われています。若冲の周辺には生前、西陣織の業者がいたことは現存する資料から判明しています。

(参考)
『伊藤若冲の「枡目画」作品を再考する―西陣織「正絵」との関係から―』泉美穂


さてさて、この枡目描き(モザイク画)の屏風も存在します。静岡県立美術館所蔵の伊藤若冲「樹花鳥獣図屏風」です。「白象群獣図」からすると画面がぐっと大きくなった分、当然枡目の数も何倍にも膨れ上がります。



ひとマスの描き方、色の塗り方にも変化が現れます。簡単に言うと少々雑になってきます。でも絵の魅力がそれで落ちたわけではありません。逆にデジタル時代を先取りしていた若冲の発想にあらためて驚かされるばかりです。

「樹花鳥獣図屏風」をあらためて見ると、とても装飾性の高い屏風です。これ部屋にあったらさぞかし目立つでしょうね。江戸時代、装飾美を前面に打ち出し人気を博していた琳派を若冲はそれとなく意識し、ライバル視していたのかもしれませんね。



京都錦、青物問屋の若旦那として精力的に働くも40歳にして家督を次男にあっさり譲り、自分は絵の道を邁進。独学で狩野派から中国の宋・元・明画を模写しまくり(友達に大きなお寺のお坊さんがいたので貴重な絵を幾らでも見られたそうです)、信じられるのは自分の目だけと、徹底的な写実に打ちこみ誰にも真似出来ない若冲独自の絵画世界を作り上げました。

やはり、江戸時代も平成の世も、先人に学びつつも独自の視点を身に付けないと一流にはなれません。そしてそこから生まれたオリジナリティーは、他の追随を全く許しません。だからこそ300年経過した今でも斬新に映るのでしょう。


宇多田ヒカル 「SAKURAドロップス」伊藤若冲にインスパイアされた映像美。


チームラボ / teamLabによる、「樹花鳥獣図屏風」をモチーフにしたアート作品「Nirvana」


NMB48「絶滅黒髪少女」のPVにも若冲作品が登場。


こうして見ると、やっと時代が若冲に追いついた感じですね。もう誰にも「わかおき」なんて呼ばせません!


(Tak(タケ):美術ブロガー)



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