2026年の丙午(ひのえうま)って何?「暮しの手帖」昭和40年版に前々回の丙午・明治39年生まれの女性のエピソードが掲載されていた

2025/1/2 00:00 服部淳 服部淳

※過去の記事を編集して再掲しています

どうも服部です。昭和時代を振り返るシリーズ記事で、過去に掲載した内容がいよいよ来年となったこともあり、その部分を切り取って再掲します。


それは、2016年4月から放送されたNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の題材の雑誌のモデルである「暮しの手帖」昭和40年発行分にありました。

「暮しの手帖」は花森安治氏と大橋鎭子氏(「とと姉ちゃん」での名前は小橋常子。当作品の主人公)が、1948年(昭和23年)に「美しい暮しの手帖」として創刊。1953年(昭和28年)の第22号から現在の名前になった雑誌で、食品から家電まであらゆる商品を実際に使って比較検討し、広告を掲載しないことでどのメーカーにも平等に歯に衣着せぬ紹介内容で話題となりました。

この昭和40年版には、78号から82号までが収められています(昭和40年当時は年5回発行)が、今回注目したのは78号に掲載されていたこちらの内容です。


「明治三九年生まれの女性にご協力頂きたいのです」という情報募集のお願い欄です。「良い油と悪い油」など、現代と言っていることがそれほど変わらないなと感じる特集がある一方、これは「やっぱり50年以上前の内容なんだなあ」としみじみ思うものでした。明治39年は西暦1906年で119年前となり、現在の世界最高齢の方が生まれるより前となります。

募集する内容もまた興味深いもので、丙午(ひのえうま)の年であった明治39年に生まれた女性に、丙午の年に生まれたけど、他の年に生まれた女性となんの変わりもなかったことを知らせていただきたいというものです。

なんのことかご存じない方も多いでしょうが、丙午とは十干と十二支を組み合わせた「干支」の1つで、60年周期で巡ってきます。翌年の1966年(昭和41年)が明治39年に次ぐ丙午となっていましたが、「丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める」という江戸時代から続く迷信(江戸時代に放火の罪で処刑された「八百屋お七」という女性が丙午生まれだったことが根源だとか)があり、子供を産むことを躊躇している親も多くいたそうで、実際に丙午に生まれた女性に迷信を否定するエピソードを募集していたのです。

早速、次号である79号に16人のエピソードが掲載されていました。丙午生まれだと知られた途端、縁談を断られた方や、新聞に今年卒業の女学生は丙午生まれだから嫁にもらったら大変というデリカシーのない記事が掲載されたなど辛かったエピソードがあった一方、16人中14人は夫婦健在(妻の年齢は58歳か59歳。夫の方が年上という夫婦が今よりずっと多かった時代)であり、夫の命を縮めるという事実はほぼ認められないことが分かりました(昭和40年当時の男性の平均寿命は67.7歳)。

また、「昭和40年にもなって、まだ丙午の迷信が信じられていることに驚いている」や「気にすることなくどんどん女のお子さんを産んでください」というコメントも寄せられていました。

しかしながら迷信は根強く、慶應義塾大学の赤林英夫先生の調査によると、1966年は前年より出生数が25%も減少したのだそうです(その翌年は1965年レベルに戻っていました)。



次の丙午となるのは来年となる2026年。ただでさえ少子化が進む時代に、このような迷信を信じる人がいないことを願いたいものです。

(服部淳@編集ライター、脚本家)