「サザエさん」の磯野家が東京であんな広い家に暮らすのは不自然?→「世田谷でアレがあったとはびっくり」「吉幾三は間違って無い」「サザエさんは時代劇」

2024/6/28 14:50 クロスブ クロスブ


1969年に放送が開始され現在も続く国民的アニメ『サザエさん』。長谷川町子さんが1946年から1974年まで新聞を中心に連載していた漫画が原作となっていますが、舞台となっているのは長谷川町子さんが暮らしていた東京都世田谷区(連載開始当初は福岡県)で、現在では高級住宅地が点在するセレブな「区」として知られています。

そんなことから、波平とマスオと2人の働き手がいるとはいえ、世田谷区の大きな家に住んでいるのは不自然(しかも妻2人は専業主婦)だという声をよく耳にします。その住環境について「腑に落ちる」画像をアップしたSNSが注目されていました。



「崎見吉生 (@ogu39628389)」さんが
「サザエさんの磯野家が東京都世田谷区内で、あんな広い家に暮らすのは不自然との声もあるが、
TVアニメ版がスタートした1969年前後の世田谷区はこんな感じでした。

⚫︎加藤嶺夫 著
『東京 消えた街角』より。」
というコメントと共に、アニメ「サザエさん」の放送が開始された頃の世田谷区の写真3枚をX(旧ツイッター)にポストし、話題となっていました。

通り沿いに藁葺き屋根の家が残る昭和44年(1969年)の写真、稲の脱穀が行われている昭和43年の写真、牛が放し飼いのようにされている昭和46年の「四谷軒牧場」の写真の3点で、いずれも加藤嶺夫 著『東京 消えた街角』より転載されたもののようです。

当時の世田谷区は、まだまだ「郊外」という言葉が合う田園風景が広がっていたことが分かります。


この投稿を見たXユーザーからはこんな声があがっていました。

・なるほど、1969年当時の世田谷区の風景を見ると、サザエさんの住環境が不自然ではないことがよく分かりますね。当時の写真が物語っています。

・まあ、放送当初期はそうだよね。でもぉ、現在でしか見てない人からしたら。あの一軒家で世田谷は……と思うところがあるのかな。

・磯野家だけ時空間が停止したまま周りにニョキニョキと家やらアパートやらデパートやらが所狭しとできていったから不自然なことに…

・アニメ、サザエさんは現代劇でなく戦後から昭和の復興、昭和40年頃までの時代劇とすべきだ。

・昭和46年に世田谷で牧場があったとはびっくり!

・55年前は牧場が世田谷にあったんだ

・つまり、吉幾三が歌った「東京でベコ飼うだ~」はあながち間違って無いんだな。

・四谷軒牧場は1985年までありましたね。
昭和60年ですね。

・1975年頃に世田谷区の幼稚園通ってましたが、登園ルートに肥溜めのある畑がありました🌱

・S40年代に舞台の桜新町商店街そばに住んでたけど閑静な住宅街で白黒写真3枚程田舎じゃないけどね。長谷川さんのお宅は凄かった。

・世田谷の小学校でしたが、近所の農家で実習をした記憶があります。 昭和末期です。

・30年前に田舎から進学の為に世田谷で住みましたが、当時は畑が結構ありましたし、広大な公園があったりで田舎者にも住みやすい町でした(^.^)

・私は1958年生まれ。20歳で砧(著者注:世田谷区の地名)に行くと言ったら「狸に化かされる」「道はあるのか?」と父から本気で心配されました。

・当時の世田谷は都心からのアクセスも良く、自然豊かで住みやすいエリアだったそうですね🐄
磯野家の大きな庭が広がるのも、その頃の風景が反映されているんですね🏞️🏡

・南青山にも畑が有ったし、成城なんてド田舎でした。

・昭和から平成に変わるバブル期に世田谷出身って言うのが恥ずかしいなぁ、、って思ってたけど、世田谷?お嬢様じゃん!って言われてびっくりした!
いや、畑も蛙の死体も普通にあるよ。って言ってました。

・相続税でカツオくんの代であの家が切り売りされるって話を聞いて(T_T)


コメントにもありましたが、「磯野家だけ時空間が停止したまま」周囲が発展していったというのがまさに的を得ていました。50年以上も放送をしていると、いろいろな矛盾が生じますし、それが「サザエさん」の魅力の一つとなっているのでしょうね。

(いまトピ編集部:クロスブ)