これがシティーポップの元祖?初めて松本隆がプロデュースした南佳孝のデビューアルバム『摩天楼のヒロイン』発売から50年

2023/9/22 17:05 龍女 龍女

南佳孝のデビューアルバム
『摩天楼のヒロイン』(1973年9月21日発売)は、はっぴいえんどを解散してドラマーから作詞家に転向した松本隆が初めてプロデュースした作品だ。
発売日は、はっぴいえんどの解散コンサートの
『CITYーLAST TIME AROUND』(文京公会堂)に合わせて決まった。


(若い頃の松本隆 イラストby龍女)

南佳孝は明治学院大学のジャズ研に所属していた。
1972年にテレビ番組『リブ・ヤング!』(フジテレビ系)のシンガーソングライターコンテストで3位になって、プロ入りのきっかけを作った。
同年の10月に初めて松本隆に会って、アルバムを作ることになった。

松本隆は、マネージャーの石浦信三の計画ではっぴいえんどのメンバーがそれぞれプロデュースしたアルバムを1枚ずつ出すことになったので
「アーティストを探してくるように」
と言われたからだった。

アレンジを担当したのはピアニストの矢野誠(1947年6月25日生れ)だ。
南佳孝がジャズ研時代、明治学院大学にピアニストがいなかったので、音大出身の矢野が手伝ったのが知り合ったきっかけである。


(南佳孝 イラストby龍女)


アルバムは、特記した曲を除いて、作詞:松本隆 作曲:南佳孝
と言う座組になっている。

Side:A
1.おいらぎゃんぐだぞ(アルバム・バージョン)
2.弾丸列車
3.吸血鬼のらぶしいん
4.ここでひとやすみ
5.眠れぬ夜の小夜曲(作詞:南佳孝 補作詞:松本隆)
6.勝手にしやがれ

Side:B
1.摩天楼のヒロイン
2.夜霧のハイウェイ
3.春を売った女
4.ピストル
5.午前七時の悲劇


矢野誠によると、松本隆ははっぴいえんど解散後だったので
「今度は厚い編成でやりたいはずだと(中略)すぐにオーケストラ手配してスタジオで準備を始めた」

当時ストリングスでソウルミュージックを奏でるフィリー・サウンド(フィラデルフィアのレーベル、フィラデルフィア・インターナショナルが率いるスタジオミュージシャン集団MFSBを中心としたサウンド)が流行っていたのでその影響と、1930年代のジャズの影響も受けている。
アルバムタイトル曲の『摩天楼のヒロイン』は歌に入る前が長く、まるでミュージカルの序曲を聴いているようである。

全体の雰囲気はシンフォニックジャズをバックに1930年代のアメリカの雰囲気も残しつつ都会を舞台にしたハードボイルド小説のような世界観で歌詞は展開されていく。

このレコーディングには、スタジオミュージシャンとしてSKYEのメンバーが参加した。
Base小原礼、Drums林立夫、Guitar鈴木茂である。
(後に加入した松任谷正隆は参加していない)

このアルバムあたりから「シティー・ミュージック」転じて「シティー・ポップ」の始まりとされている。
当時はまさか新しい音楽の潮流になるどころか、現在では再評価されて世界中で聴かれるようになるとは思わなかっただろう。

ましてや、50年後の今も現役のミュージシャンとして活動出来るとは。
その頃からのミュージシャン仲間の小坂忠が亡くなって、再び集まって彼が牧師として暮らしていた所沢でコンサートが行われる。

その中で南佳孝はどの曲をパフォーマンスしてくれるだろうか?
『摩天楼のヒロイン』の中の曲はあるのか?
それとも後に放ったヒット曲
『モンローウォーク』(1979年4月21日発売)
『スローなブギにしてくれ(I Want You)』(1981年1月21日発売)
だろうか?
非常に楽しみである。



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