【篁牛人】芸術に至上の価値を置いた孤高の画家の生きざまに今熱い注目が集まっています。

2021/10/28 23:05 Tak(タケ) Tak(タケ)

どんな分野でも同じようなものなのかもしれませんが、殊更、美術の歴史というものは、本筋から外れてしまうとまるで存在しなかったかのような扱いを受けるものです。

江戸時代、京都の街で人気絵師としてその名を欲しいままにしていた伊藤若冲でさえ、明治以降の日本美術史からは抜け落ちてしまい、昭和になって辻惟雄先生が「再発見」するまで忘れられた存在でした。



平成に入り徐々に歴史の澱に埋もれてしまった画家たちに再び光をあてる作業が「篤志家」とも呼べる美術史家によりなされてきました。

コロナ禍で話題にはなりませんでしたが、江戸東京博物館他で開催された特別展「奇才―江戸絵画の冒険者たち―」は、日本全国から35人の奇才絵師を集めた特筆すべき展覧会でした。



江戸時代だけではなく、明治、大正、昭和の時代においてもまだまだ知られていない魅力的で個性的な画家は沢山います。

その中でも今回紹介する篁牛人(たかむらぎゅうじん)はかなり異色の絵師です。

1901年に富山県のお寺の次男として生まれ、戦争にも従軍しつつ絵筆を握り続け、1994年に82歳で亡くなるまで精力的に活動をしていた絵師です。


篁牛人「老子出関の図」(部分)昭和44年 富山県水墨美術館

ご覧の通り、牛人は水墨画家です。しかし一般的な水墨画とはかなり印象が違います。余白の美がウリの水墨画にあって、牛人の作品は暑苦しいほどみっしりと描かれています。

画面構成だけではなく、どの独特の技法も観る者を惹き付けます。

篁牛人「寒山拾得」昭和22年 富山市篁牛人記念美術館

牛人は、少量の墨で描く「渇筆」という技法を考案し、独自の水墨画の世界を切り開いた画家なのです。

この色んな点で風変わりな水墨画家にいち早くその独自の美を見出したのが、美術史家の安村敏信氏です。

2015年に小学館より刊行となった『日本美術全集』第19巻「拡張する戦後美術」に掲載された、牛人の作品解説を記しています。


篁牛人「西王母と小鳥」昭和44年 富山県水墨美術館

『日本美術全集』(小学館)より安村先生の解説一部引用しておきます。

「「渇筆」という特異な技法は、藤田嗣治の乳白色の肌色と、小杉放庵の枯淡な水墨画に刺激され篁牛人が開発したものだ。牛人が渇筆で女性を描けば体内のエロスが充満し、男性を描けば活力が体を膨張させる。」

自分は真っ先に牛人の描く豊満な女性像を観て、レンドルフのヴィーナスを想起しました。

原始的な美がそこには共通してあるように感じます。


ヴィレンドルフのヴィーナス(前23000年頃)オーストリア

一方で、動物を描かせると非常にユニークな形態をした、ちょっとどこかユーモラスな現わし方をします。

こちらの虎など、古今東西ここまで恐ろしくないトラも珍しいのではないでしょうか。


篁牛人「天台山豊干禅師」昭和23年 富山県水墨美術館

ヨガのポーズをとっているかのような虎ばかりに目がいってしまいますが、画面左の横長の大樹も相当変で、これまたどこを探しても類するもの見つからないのではないでしょうか。

そして注目すべきは描かれた時代です。戦後から高度成長期真っ只中のイケイケな時に似つかわしくない作品です。

牛人については、まだまだ紹介しきれないことだらけです。そもそも初めから水墨画を描いていたわけではないのです。



特別展「篁 牛人~昭和水墨画団の鬼才~」
会期:2021年11月2日(火)〜2022年1月10日(月・祝)
会場:大倉集古館
  https://www.shukokan.org/



大倉集古館で開催される「篁牛人展」でその全貌が明らかにされます。乞うご期待!

孤独と酒を最良の友とした異色の水墨画家・篁牛人(1901~1984)。特定の師につくことも美術団体に属すこともなく、芸術に至上の価値を置く自由奔放な生きざまを貫いた孤高の画家であった牛人は、「渇筆」という技法(渇いた筆などで麻紙に刷り込むように墨を定着させる)によって、独自の水墨画の世界を開拓しました。大胆さと繊細さを併せ持つ渇筆は、細くたおやかな筆線と共存し、中間色層が極端に少ない白と黒の画面の中で、デフォルメされた特異な形態表現が不思議な緊張感をみなぎらせます。

本展では、牛人の画業を三章に分けて構成し、水墨画の大作を中心として、初期の図案制作に関連する作品なども含め、水墨画の鬼才・篁牛人の世界をあまさず紹介します。