【1966年】約50年前の東京で行われた「史上最大の作戦」を捉えた貴重映像

2019/2/28 20:02 服部淳 服部淳




こちらも貴重な映像(2:00頃)です。「毎日新聞」の看板の下に、鳥らしきが何羽もいるのが見えますが、、、


鳩です。映像のナレーションでは、「すでに大空に放った伝書鳩だが、やはり古巣が恋しいのだろうか」と言っています。何のことかピンと来ない方も多いでしょうが、昭和30年代までは、新聞社の屋上にはどこも鳩舎(鳩小屋)が設置されていて、そこで伝書鳩を飼い、僻地や離島など交通の便が悪いところでの取材のときは、その鳩を使って写真フィルムや原稿を送っていたのです。

鳩には強い帰巣本能があるといわれ、遠くの知らない場所に鳩を連れて行っても、すぐに自分の巣である毎日新聞社の鳩舎に戻ろうとするため、この習性を利用して写真フィルムなどを社に運ばせていたのです。

記録によると、毎日新聞社では大手新聞社の中では遅くまで伝書鳩を使っていて、1964年(昭和39年)の東京五輪のボート競技の写真を伝書鳩で送ったのが最後だったといわれています。この移転の前に、毎日新聞社東京本社では鳩舎を閉鎖、ナレーションの言うように大空に放たれたのですが、先述の習性のため、なかなか新天地に移りすめないでいたのです。


で、こちらが当時建設中で、現在も東京本社である東京・竹橋の「パレスサイドビルディング」です。残念ながら鳩舎は設けられませんでした。


移転する際にネックになったことの一つに、旧社屋の狭さがありました。エレベーターもかなり小さめ。


しかも、エレベーターの階数表示が、こんなアナログ式の古いタイプ(だがカッコイイ)。


さて、いよいよ引越しが開始となります。トヨタのボンネットトラックがズラリとスタンバイ。

映像では語られていませんが、「パレスサイドビル」のウェブサイトによると、「引っ越しが行われたのは1966年9月22日~23日」とのことで、休刊日前日から作業が始められたようです。


ライトバンや懐かしのオート三輪の姿も見えます。


旧社屋の印刷局内です。先程も登場した「活字」の箱が並んでいます。前述したように当時はパソコンで文章を組むDTP(デスクトップパブリッシング)の技術はまだないので、印刷に使う文字を一文字一文字選んで並べていくという、大変な作業が必要でした。


ひらがな、かたかな、そして膨大な数の漢字、アルファベットに数字もあるわけですから、ものすごくたくさんの「活字」があるのです。


その「活字」の箱を、一つずつ慎重に箱詰めしていきます。活字運搬用に特別な木箱を用意したとナレーションは伝えています。


左側の白い幕がかかっているところが旧社屋です。ここから大型の機械などをクレーンで運び出すのですが、ご覧のように車の往来が激しいところです(モノクロですが、クリーム色に赤茶色のラインが入った都営バスも見えます)。


人通りも多く、慎重に作業をしなくてはなりません。


クレーンで下ろされる荷物の後ろには、毎日新聞社より9月23日に移転をするという案内板が見えます。


一方、移転先の「パレスサイドビルディング」は、引越し当日も、まだ工事が終わっていなかったようです(前出のパレスサイドビルの資料によると、正式な開館日10月1日だったそう)。

引越しの日をずらせばよかったのでは、とも思ってしまいますが、現在では毎月のように設けられている新聞休刊日ですが、この当時は「元日」「こどもの日」「秋分の日」の年3日しかなかったのです。この機を逃せば、次の休刊日は翌年の元日となってしまいます(さすがに元日に引越しはしないでしょうが)。


作業は当然、昼夜通して行われました。夜間の作業風景(BGMがおどろおどろしい)の背後には、懐かしのネオンサインも映り込んでいます。「ダイキンのクーラー」に「サッポロビール」が確認できます。


そして、旧社屋と道路を挟んだ向かいにあった百貨店の「そごう東京店」(現・ビックカメラ有楽町店の場所)のサインも見えます。


「夜を彩るネオン」というナレーションに合わせて映し出されるのは、左が銀座のシンボル的存在だった森永の「地球儀ネオン」、右は「フルヤ ウインターチョコレート」の看板の一部。銀座の数寄屋橋交差点あたりからの撮影でしょうか。


こちらは、この引越しの少し先、10月15日公開のフランス映画、クロード・ルルーシュ監督作品「男と女」の宣伝のようです。同監督の代表作となった作品です。

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