「失踪を繰り返す父親」を撮り続けたカメラマンに会ってきた!

2016/8/15 14:00 吉村智樹 吉村智樹





(たびたび行方をくらませる父。息子であるカメラマンは、そんな父の姿を撮り続けました)



まったく予備知識なく書店で手にした一冊の写真集に衝撃を受けました

それは京都の出版社・青幻舎 から発売された『father』



(金川晋吾『father』 青幻舎)


写真家・金川晋吾(かながわ しんご)さんが上梓した初めての写真集です。


まず気に留まったのが、帯にある「やっぱり生きていくのが面倒くさい」という手書き文字。





そして表紙には、ぼんやりと中空に目を泳がせながらタバコを吸うおじさんの姿。





確かに、なにもかも面倒くさそうな表情。
「やっぱり生きていくのが面倒くさい」と書いたのは、どうやらこのfatherらしい。


手にとってページを開いてみると……カメラマンがひとりのおじさんと正面から向き合ったり、尾行したり、隠し撮りしたり








なんとこの写真集は「失踪を繰り返す父親の姿を息子が撮影する」という、どこからどう理解していいのか、めまいをおぼえる写真集だったのです。


会社を無断で欠勤するようになり、誰にも行方を告げずに姿をくらましてしまう。
本来は自分を有利にしてくれるはずの自己破産や生活保護の申請も、その手続きにひるんでなのか、姿を消してしまう父。


そんな波乱万丈の……と言いたいところですが、波乱万丈なのは振り回される周囲だけで、本人はいたって悠然と、どこか他人事のようにタバコの煙をくゆらせている。
そしてその姿を、被写体としてカメラに収めてゆく息子。

ひどいじゃないですか、お父さん。
写真を撮っている場合ですか、息子さん。


でも……写真に見入る僕は、次第にお父さんに憧れの感情をいだいてゆく。


だって、青空がとてもきれいな昼下がり、空を見あげながら「ああ、面倒くさい。このままどっか、消えたいな」って、思ったことはありませんか?


強さってなに、弱さってなに、生きるってなに、自由ってなに。

金川さんが撮る写真は、自分のこれまでの考え方や立ち位置をぐらぐらさせる、危うい魅力をはらんでいます。


そして僕は清水五条にあるギャラリー「メイン」にて写真展 “ father ”を開催している(現在終了)金川晋吾さんの元を訪ねました。



(最寄りの京阪「清水五条」駅を出ると、夏の青空が広がっていました。いい天気。このままどっか消えてしまおうか……と湧き出る蒸発願望を振り払いギャラリーメインへ)



(ギャラリーメインがある有隣文化会館は、味わい深い木造の建物をリノベーションしたスペース)



写真展“ father ”






ある日突然いなくなり、しばらくのあいだ姿が見えなくなる。
そのような「蒸発」を繰り返すことで、私の父は何もない人間になった。
何もない人間になること。
それはおそらく父自身が望んだことだ。
何もない人間になれば、自分のことについても、自分のことを考えてくれる他人についても、考える必要がなくなるのだから。

ある作家が次のようなことを書いていた。

「もし他人のことをほんのわずかでも知ることができるとしたら、それはその他人が自分を知られることを拒まない限りにおいてだ。もし寒いときに、『寒い』と言うことも震えることもしない人間がいたとしたら、私たちはその人間を外から観察するしかない。ただし、その観察から何か意味が見出せるかどうかはまた別の問題だが」

私の父は寒いときに震えることはすると思う。
だが、「なぜ震えているのか」と尋ねられても、父は「わからない」と答えるだろう。
本当にわからないのか、それともただ考えたくないのか、それは他人からはわからない。
おそらく、本人もわかっていない。





(写真家・金川晋吾さん 34歳。うしろの犬はお父さんが飼っていたジョナサン)






(お父さんの日常を切りとった写真が並ぶ)





金川晋吾さんは京都府長岡京市のご出身。
父・母・兄の4人家族です。

2006年に神戸大学の発達科学部「人間発達科学科」を卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科「先端芸術表現専攻」博士課程を修了されました。

失踪を繰り返していたお父さんは同じ京都の大山崎町で独り暮らしをしており、『father』は主に、この大山崎町で撮影されました。

そして2010年にこの「father」のシリーズで第12回「三木淳賞」を受賞されています。


――金川さんはいつから写真をお撮りになられているのですか?


金川
「高校時代から一眼レフカメラは持っていました。学校帰りに書店へ寄って、雑誌でホンマタカシさんや佐内正史(さない まさふみ)さんの写真を見て『なんだかよくわからないけどすごくいいなあ』と思ったのがきっかけだったですね。とはいえ、将来はカメラマンになりたいというほどの強い気持ちはなかったです。大学も文系へ進みましたし」


――では、本格的にカメラで表現をされるようになったのはいつからですか?


金川
「大学時代『このまま卒業して就職するのはいやだな』と思い、神戸大学を一年間休学し、当時は大阪の万博公園にあったIMI(インターメディウム研究所)という学校に通ったんです。そこは映像や写真、音楽、デザイン、現代美術など表現全般のワークショップをするところで、そこで写真家の鈴木理策(すずき りさく)さんと出会ったのが大きかったですね。改めて『写真って、おもしろいなあ』と思いました」


――どういうところがおもしろかったですか?


金川
「写真って、いろんなものが写ってくるんですよね。自分で『これがテーマだ』って決めていても、狙いとは違うものも写ってしまう。変な瞬間だったり、言葉にしにくいものが写真に写る。そこがおもしろかったですね」


――たしかに写真集『father』には、狙って撮れるようなものじゃないすごい写真がたくさん掲載されていますね。本の帯にもなっている、お父さんの「やっぱり生きていくのが面倒くさい」という落書きとか。「つらい」でも「苦しい」でもなく「面倒くさい」という言葉の凄みに胸を射抜かれました。お父さんはいつから失踪されるようになったのですか?


金川
「父は僕が中学・高校生だった頃からちょくちょくいなくなっていたんです。戻ってきてまた働きはじめるし、事件性がないので、失踪というよりは家出ですね。捜索願を出したこともあったり、福井県や奈良県など他県で発見されて迎えに行ったこともありました。ただ、その後もあまりにも何度も家出を繰り返していたので、一回一回の意味が軽くなっていったのかなと思います。『またか』という感じですね。蒸発の理由を訊いたこともあったんですが、本人がまったく語りたがらないので、こっちとしてもそんなにちゃんと追及したことはなかったですね」


――ご家族が強いなと思うんです。普通、父親がいなくなったら、残された家族は、自分たちを捨てたひどい人だと考えるじゃないですか。


金川
「“普通”の基準はわからないんですが、母は強い人だと思いますね。実際『このまま父が帰ってこないと、お金のことはどうなるんだろう』と、不安を感じることもありましたが、家のなかが暗くてどうしようもなくなるなんてことはなかったですね。それは、母がしっかりした人だったのが大きいと思います。あと、母は父のことをあまり悪く言わなかったんですよね。もちろん実際には母はいろいろと苦労をしたと思うんですが。僕自身はけっこう普通に学生生活を楽しんでいましたよ」



(撮影の状況を解説してくださる金川さん。お話を訊くと改めて「なぜこの状況で、お父さんはこんな表情ができたのだろう」と不思議に思ったり、感心したり)


――お父さんの写真を撮るようになったのは、失踪癖が再発するようになってからですか?


金川
「そうなんです。この写真集にはそういう経緯は書いていないのですが、僕が大学に入ってから両親は別れ、父はひとりで、はた目には平穏に暮らしているように見えたんです。ところが2008年にまた姿をくらませました。2週間ほどで戻ってきたのですが、消費者金融数社からけっこうな額の借金をしていることがわかり、このまま放っておくことはできないような状況になったんです」



(「やっぱり生きていくのが面倒くさい」というメモはこういったA4コピー用紙の裏に書き残されていた。ほかにもパソコンのデスクトップにエクセルで「ごめん」と書き置きしていたこともあった)


――この写真集には、写真のほかに、お父さんの失踪と借金が発覚した当時の金川さんの日記が掲載されていますね。これを読むと、後始末がいかにたいへんだったかがわかります。金川さんはお父さんのために弁護士さんやハローワークや役場に奔走し、借金を減らすように努め、その間の生活費の面倒も見ている。なのにお父さんは頼んだ書類をまるで書かないし、行ってくれと頼んだ場所へ、行くと言ったのに行かない。挙句の果てに、自分を救うことになるはずな申請の話し合いを控えているタイミングでさえ、また失踪してしまう。この写真集はそんな衝撃の一冊なのですが、どのような感想が多いですか?


金川
「本当に人それぞれで、いろいろな感想をもらいました。ただ、僕がおそれていたのは、父のことをネガティブにとらえられること。父を悪く思われるといやだなっていうのがあったんですが、あんまりそういうふうに思う人はいなかったですね」


――実は僕も「ひどいな」と思いつつも、お父さんをうらやましいと思う気持ちが禁じ得なかったです。そんな失踪癖のあるお父さんを撮影しようと思われたのはどうしてですか?


金川
「息子としては、父が社会からドロップアウトする危機を回避しないといけないという気持ちがあったんです。でもその一方で、この人はこの状況をどうするのか、第三者として見届けたいという気持ちもあった。息子としての僕は『なんとかしないと』と思いながら、もうひとりの自分が『この人、どうするんだろう』と客観的に見ていた。それは自分が写真を撮る人間だからだと思います」


――なるほど。金川さんがお父さんをきつく問い詰めたり、罵ったり、喧嘩をしたりしなかったのは、写真家というもうひとりの自分がいたからかもしれませんね。


金川
「それはあります。カメラがあるというのは、自分にとってとても大きかったですね。写真を撮るという行為がなければ、僕は父に対してはもっと嫌な気持ちをいだいていたかもしれません。よく『カメラを通して人と向き合う』と言うじゃないですか。でも実際は逆で、カメラがあったからこそ父と適度な距離がとれたんです。写真によって距離をとることができるからこそ、写真を通して見えてくるものがあるのだと思います」















(いろいろあって、住んでいた部屋を出ることになったお父さん。もぬけの殻となった部屋で、お父さんはなにを思っているのだろう)


――確かに、お父さんがただ歩いている、ただ寝転んでいる、それだけの写真なのに、言葉にできないたくさんのドラマが写っていると感じて圧倒されました。そうしてお父さんの姿を撮ってこられて、気づかれたことはありますか?


金川
「すごく悩んで蒸発する人とは違う。逃げることでサバイブし、物事を考えないようにして生き延びる。そして後悔もしていない。弱い人だと思われがちですが、むしろタフなんですよ。大迷惑なところもあるけれど、そういう生き方もあるんだと納得させられもする。父は別に何か特別に変わった人間とか、そういう人ではないんですね。自己破産した父の写真を撮り続けている僕の方がよっぽどおかしなことをしているのだと思いますよ(笑)。父は文句のひとつも言わずに僕がやっていることを受けいれてくれるので、とても寛容ですよね」


――そうですよね。失踪を勧めるわけではないでしょうが、この写真集には、厳しい人生をもう少しラクに泳ぐためのひとつの方法が写しだされていると感じましたし、手に取る人を救う力があると思います。ところで気になることがあります。お父さんを撮影した写真集が出版されたり、ギャラリーに展示されていることを、当のご本人はご存知なのでしょうか?


金川
「もちろん知っています。写真集が出たとき、『カタチになって、よかったな』って言ってくれました。なんというか、とてもあっさりとしてるんですよね。父自身のことが作品になっているんですけどね(笑)」


――さすがに「よかったな、じゃねーだろオヤジ!」って気もしますが。


金川
「そうなんですよね。でも、父のそういう態度にとても救われていますね。父から『やめてほしい』とか言われたことは一度もないです。それは素直にありがたいですね。この写真集や写真展は、僕が父を撮った写真であると同時に、父が僕を受け容れてくれている写真でもあるんです。その関係性が伝わるといいですね」


――お話をうかがって、ほっとしました。さて、やはり心配なのが現在のお父さんですが、失踪癖はなおったのでしょうか?


金川
「はい。借金の問題が丸く収まって、いまはひたすら平穏に暮らしています。あんなに面倒くさがりだった父が、いまは日記や家計簿もつけています。これには本当に驚きました。環境が変わると、別人のようになることもあるんだなと。人間は一貫していない。変わらないものもあるだろうけど、がらっと変わってしまうことだってある。だから『この人は、こういう人だ』って決めつけることって、意味がないと思うんです


「この人は、こういう人だ」って決めつけることって、意味がない。
人って変わるし、変われる。
写真集「father」には、金川さんのこの想いが貫かれているように思いました。



(いろんなことを面倒くさいと避けてきたお父さんだが、金川さんが2009年に毎日自画撮りをするよう頼むと、欠かすことなくそれを続けてくれた。現在も継続中。毎日ほとんど表情が変わらない写真の連続は、それ自体が現代美術のようだ)


ページをめくるたびに固定概念という重いジャケットをはぎ取られてゆき、思考がどんどん自由になってゆく痛快さが、この写真集や写真展にはあるのです。



(お父さんのことを話すとき、金川さんはいい笑顔になる。カメラは、レンズは、ともすればぎこちなくなる親子のあいだに適切な距離の橋をかけてくれた)


金川晋吾 『father』



定価:2,700円+税
版元:青幻舎
ISBN 978-4-86152-526-1 C0072


そんな写真家・金川晋吾さんが、お父さんの自己破産後の姿を追った写真展が東京で開催されます。




金川晋吾写真展『father 2009.09-』


私の父には蒸発癖があった。私が大学に入った2000年ごろから、父は家族とは離れて一人で暮らすようになった。一人になってからの父は、平穏無事に暮らしていると思われていた。だが、08年の9月、ひさしぶりの蒸発があった。そのときは2週間ほどで戻って来たが、それを機に父は仕事には戻ろうとしなかった。このまま放っておいたらどうなってしまうのかわからないような状況にあったが、父は何もせずにただ家にいるのだった。父がこのような状況に陥ったことをきっかけに、私は父と関わりながら、父を撮影することを始めた。





撮影は09年の9月で一区切りがついた。自己破産の手続きが完了し、持ち家を引き払ってアパートに移り住み、生活保護を受給するという新たな生活が始まったからだ。父はついに何もしなくても生きていける生活を手にした。父の生活は安定した。だが、安定した生活を送っている父は、また別の意味で私を不安にさせた。何もしなくても生きていける生活を手に入れたがために、父は本当に何もしなくなってしまった、と私は思った。「このままでいいのだろうか。何かさせないとすぐにぼけてしまうのではないか」私は不安になった。だが、父自身はそんな不安などまったく感じていないようだった。「何もしない父」を前にして、私はカメラをそれまでの中判カメラから大判カメラに変えた。そうすることで、「そこに父がいるということ」、そのことを撮ろうと思ったのだった。 (金川晋吾)


会期:2016年8月16日(火)~29日(月)*21日(日)・22日(月)休館
時間:10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会場:新宿ニコンサロン
住所:〒163-1528 東京都新宿区西新宿1-6-1 新宿エルタワー28階
http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2016/08_shinjyuku.html#03


ギャラリートーク
8月20日(土)18:30~20:00
ゲスト:飯山由貴(アーティスト)
作者の金川晋吾氏とアーティスト・飯山 由貴氏のトークショーを写真展会場にて開催いたします。
会場:同 新宿ニコンサロン
※入場無料・予約不要です。当日は直接会場にお越し下さい。




さらに8月27日の土曜日、東京・下北沢でトークイベントが!




『father』(青幻舎)刊行記念イベント
金川晋吾×杉田俊介「強さと弱さ~人間のわからない心について」

日時:8月27日(土)19:00~21:00
会場:本屋B&B
住所:東京都世田谷区北沢2-12-4第2マツヤビル2F
http://bookandbeer.com/event/2016082702_bt/






ぜひ足を運んでみてください。



(吉村智樹)



画像提供:青幻舎

取材協力:ギャラリーメイン