『M-1』挫折、松本人志に...「辞めようかと思った」引退を考えていた「もうムリやろな」

24日放送『TOKIOカケル』(フジテレビ系)に人気お笑いコンビ・フットボールアワーの後藤輝基と岩尾望が登場。挫折を経験したお笑い賞レース『M−1グランプリ』を振り返った。
ダウンタウン世代のフットボールアワー。後藤は学生・若手時代からダウンタウンに憧れていたため、「芸人は尖るもんや」と思い込んでいたと明かす。
後藤と岩尾は吉本興業の養成所・NSCで出会ったが、当初から、特に後藤は尖っていて「俺はほかとは違う」と孤高の芸人を気取っていたと岩尾が解説する。
紆余曲折ありコンビを組むようになった後藤と岩尾は、2001年に開催された漫才の祭典『M−1』の第1回大会に出場し、見事決勝進出を果たした。
岩尾は「1回目なんでなんのこっちゃわからん状態で出てた」、後藤も「誰もがどういう大会なんかわからんような状態で始まった、みたいな感じで」と出場者も手探りで大会に挑んだと回顧。
ただ審査員には憧れ続けた松本や当時タレントだった島田紳助さんが名を連ねており、「紳助さんと松本さんが見てる前で(漫才を)やるっていうことだけが、もうビッグイベントというか」と後藤は熱弁する。
「誰も笑っていない」ピリピリとした緊張感が漂う大会だったとフットは主張。後藤は「点数いまでこそ、最低点ってどれぐらいでしょ、85点とか? 僕ら松本さんにつけられたの55点ですから」と厳しい点数をつけられたと語る。
「それこそ1年目に、松本さん紳助さんの点数が低すぎて、もう辞めようかと僕思ってたんですよ」「もう憧れてる人が50なん点出すってことは『もうナシです』って言われてるようなもんですから、『もう辞めよう』とホントに思ってて」と後藤は芸人を辞めようと考えたと吐露。
岩尾も「もうムリやろなと思って。もう全否定されたみたいな感じなので。いままでの最高傑作を持っていったつもりがその時点ではまったく通用しなかったので」と同じ気持ちだったと語った。
しかし、打ちひしがれて大阪に帰ってからも諦めることなく舞台に立ち続け、ネタの作り方を変えていったフット。翌年の『M−1』では、松本と紳助さんの「点数がバコーン高かったんですよ」と憧れの2人から高く評価されたと満足気に語る。
2003年大会で王者となったフットだが、「優勝したときよりうれしかったな」「うれしかった瞬間っていったらそのときのほうが(大きい)」と松本らに褒められた当時の心境を吐露した。としらべぇは報じた。
編集者:いまトピ編集部