2022/8/16 15:37

超人気グループ「ドロ沼の罵倒応酬」死の1カ月前に「みんなが仲良く」とつづっていたが…

喧嘩

83年に「ギザギザハートの子守唄」でデビューするや、瞬く間にトップバンドに上り詰めた、藤井フミヤを中心とした7人組グループ、チェッカーズ。

2004年8月17日、グループでドラムを担当し、クロベエの愛称で親しまれた徳永善也が舌ガンのため死去したが、9月12日に予定されていた「送る会」前日、元メンバーの高杢禎彦と鶴久政治の所属事務所から編集部に2枚のファクスが届いたという。

1枚には「当日、11時30分から行われる記者会見において高杢、鶴久の両名は元チェッカーズのメンバーとして、徳永善也さんを6人で送りたいという希望を持っておりましたが、残念ながらその望みはかなえられませんでした」と綴られており、もう1枚は、フミヤをはじめとした「送る会」発起人が高杢の事務所あてに送った通信文で、そこには「さて、記者会見なんですが、これに関しては送る会を立ち上げた発起人5人で行います。これまでの経緯上、そうする事が僕らの責任でもあり、義務だと思いますので、その旨ご了承ください」とあり、つまりは2人への「出席辞退」申し入れともとれる内容だったとのこと。

92年の解散から11年後、03年6月に、高杢が解散の真相と内幕を赤裸々に綴った著書「チェッカーズ」(新潮社)を出版したことがきっかけで、高杢、鶴久と、フミヤらほかのメンバーとの確執が表面化。

同著の中で高杢は金銭トラブルや、フミヤの恩師に対する「忘恩」などを暴露。それが両者の間に大きな「遺恨」を生み出したとされ、「送る会」当日は、最前列に4人が並び、2人は1列空けた3列目に並んでいたという。

フミヤは会見で、

「本自体はデタラメな本だから読まない方がいいよ、ってみんなに言われたので、僕は読んでいないし、ここにいるメンバーも読んでいないと思う。溝にならないと言ったら嘘になる」

と発言。この言葉に対し、病床のクロベエを見舞うこともかなわず、死去の知らせも親族からの電話で聞いたという高杢は猛反発し、

「誰が僕たちをクロベエに会わせなかったのか。面会は誰ならOK、誰はダメと、それを担当した方がいらっしゃるらしいと聞きました。残念でたまりません」

と話していたという。

クロベエは死の1カ月前、七夕の短冊に「みんなが仲良く」と綴っていたというが、願いはついに叶わなかったと「アサ芸プラス」が報じている。

メンバーの死でも繰り広げられたチェッカーズ「ドロ沼の罵倒応酬」/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史 | アサ芸プラスメンバーの死でも繰り広げられたチェッカーズ「ドロ沼の罵倒応酬」/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史 | アサ芸プラス

編集者:いまトピ編集部