「炎上」加山雄三の光進丸を偲んで…西伊豆の気になりすぎる「ファンシー絵みやげ」(1/3)
こんにちは。平成元年あたりのカルチャーを発掘調査している山下メロと申します。80年代とも90年代とも違うその時代を、平成レトロとして愛好しております。
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当連載では、80年代から平成初期に流行した「ファンシー絵みやげ」から、当時の流行を紹介していきたいと思います。「ファンシー絵みやげ」とは80年代からバブル経済期~崩壊を挟んで90年代まで、日本の観光地で若者向けに売られていた、かわいいイラストが印刷された雑貨みやげのことです。
「ファンシー絵みやげ」については連載第一回をご覧ください。
■ 若大将の愛船が炎上の報せ
4月1日のその日、私は東中野でDJをしており、偶然にも加山雄三さんの曲をスピンさせていただいていました。その後、打ち上げに参加し、終電に乗り込んだ私の目に驚きのニュースが飛び込んできました。静岡県西伊豆町で船が炎上している、加山雄三さんの愛する船・光進丸ではないかというニュースです。
・加山雄三の安否心配の声 ツイッターに船炎上の写真が続々投稿(デイリー)
エイプリルフールかな…などとも思いましたが、どうやら本当のことらしく、その夜は気が気ではありませんでした。
翌日になっても火はおさまらなかったようです。加山雄三さんご本人は沖縄公演中だったため現場にはおらず、また、船は無人だったようで、その点は安心しました。
加山雄三さんは「光進丸」というタイトルの曲も歌っています。
その名前の曲を作るほどに思い入れのある船の非常事態。しかしそんな中、加山さんは沖縄から戻った羽田空港ですぐに記者会見を開き、そこで迷惑をかけたと謝罪された上で、前向きな発言をされました。沈痛な思いも隠さずに吐露された上での気丈なコメントに、私は心を動かされました。
そして、光進丸が係留されている西伊豆のことを思い出しました。 西伊豆へは、ファンシー絵みやげを探して観光地を調査する「ファンシー絵みやげ保護活動」で訪れているのです。