【カラーで見る昭和20年】終戦3週間後の東京と日本人の生活を捉えた貴重映像

2018/1/30 20:34 服部淳 服部淳

どうも服部です。昭和の映像を紐解いていくシリーズ、今回は「Periscope Film」という米国のフィルム収集会社がYouTubeに公開している映像を取り上げました。

YouTubeに記された説明によると、第二次大戦が終わった1945年(昭和20年)9月に、不明の米軍関係者によって撮影されたものだそうです(無声)。
※動画はページ下部にあります。


数台の自動車がやって来て、


カメラの前を通過していきます。動きが早くて分かりづらいですが、背後には戦災の瓦礫と思われるものも見られらます。


と、どういう訳か路上でストップしています。


ボンネットを開いているところから、オーバーヒートでしょうか。なんらかのトラブルがあったようです。




車を乗り換えのため降りてきたのは、占領下の日本における最高責任者、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーだそうです。トレードマークのコーンパイプはくわえていません。

YouTubeの説明によると、この映像は「It shows General Douglas MacArthur on his first day in Japan, touring the battle damaged city of Tokyo. (ダグラス・マッカーサーの日本での初期、戦災で破壊された東京までの道中を映したもの)」とのこと。なんとも貴重な記録です。


続いては、駐日米国大使館で勝利のスピーチをしているところだそう。8月30日に、厚木飛行場に降り立ったマッカーサー(かの有名なシーン)が、東京に最初に訪れたのが、この大使館を訪問した9月8日でした。


大使館入り口と思われる門は、このような厳重警備。


1931年(昭和6年)に完成した、先代の駐日米国大使館の建物です。


帝国ホテルの敷地内でしょうか、マッカーサーらしきシルエットが見られます。




帝国ホテル周辺や敷地内も、このような警備体制。大使館を訪れた同日に、マッカーサー一行は帝国ホテルで昼食会を開催していたようです(「帝国ホテルの歴史・沿革」参照)。


1923年(大正12年)に竣工し、1968年(昭和43年)に解体された帝国ホテルのライト館ですね。


映像の2:25頃からは、マッカーサーから離れて、日本人親子と思われる姿が捉えられています。終戦から3週間後ほどの時代で、お父さんの清潔な格好から、結構ハイクラスな立場の方なのでしょうか。


子供たちの洋服は、お母さんの着物を縫直ししたものなのですかね。南国の民族衣装のように華やかです。


足元はサンダル履き。


一番年上と思われる女の子が、モデルになってくれています。


男の子の後ろには、生々しい瓦礫が残っています。


女の子2人は、見事なまでのおかっぱスタイル(ワカメちゃんヘア)。




映像の3:12頃からは、明らかに画質が変わります。高台から撮影した皇居周辺のようです。


映像の3:53頃から数分は、米兵たちへの勲章授与のシーンが続きます。




もちろん、歴史的な資料としては貴重なものではありますが、ここではざっくり割愛します。




映像の7:39頃からは、米兵を日本人と思われる男性が案内しているシーンが入ります。鳥居の説明をしているのでしょうか。


説明は特にないので、日本人男性がどのような人で、どういう意図のシーンだか分かりませんが。


映像の8:35頃から映るのは、有楽町駅前にあった日本劇場(=日劇。左から2棟目)を国電(現・JR)のガード越しに捉えた映像だと思われます(現・晴海通り)。


カメラを有楽町駅の方に振ると、崩壊した建物も見受けられます。




場所は不明で、映像もやや鮮明ではありませんが、終戦3週間後のリアルな息吹が感じられます。


映像の9:30頃には、瓦礫が残る街並みを行く東京都電の姿も見られます。


その後2分ほど、皇居を訪れる(主に)米兵たちの姿を挟みます。右から左方向に「芝生に入らぬこと」と書いた注意書きが映っています。


映像の11:23頃には、待ち構えるカメラマンの後ろ姿が。




C-46輸送機から降りてきたのは、米軍関係者に加え、日本の代表団の姿。勝者と敗者の立場の差が鮮明にあらわれているように感じます。


映像の12:01頃からは、飛行機の窓から撮影された映像になります。


江ノ島でしょうか?


米軍機が並ぶ空港に着陸します。


映像の13:14頃、米兵が星条旗を立てているのは、旧日本軍の航空基地とのこと。




使用不可となった軍機が、寂しく放置されています。




東京と大師(川崎大師)までの距離を表示する案内標識。川崎市旭町(現・川崎市川崎区旭町)と住所が記載されています。




現在はとても交通量の多いところですが、当時はゆっくりと牛車も通っていました。15:00頃、映像は終了します。



パイプをくわえ、厚木飛行場に降り立つマッカーサーの姿。日本人なら一度は見たことがあるシーンですが、その後、トラブルがありながらも、東京まで移動した映像も残されていたとは。他にも、戦争が終わってわずか3週間ほどの、素の日本人の表情なども捉えられていて、大変貴重な映像でした。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)

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