潰瘍性大腸炎と闘いながら食べ物への感謝の気持ちを歌うロッカーに会ってきた!

2017/2/13 14:45 吉村智樹 吉村智樹





▲パワフルに歌うロッカー、山本新(やまもとあらた)さん。その歌には「食べ物への感謝の気持ち」がこめられています



こんにちは。
関西ローカル番組を手がける放送作家の吉村智樹です。
こちらでは毎週、僕が住む京都から耳寄りな情報をお伝えしております。


さて京都には、今年でデビュー15周年を迎える、山本新(やまもとあらた)さんというロッカーがいます。



▲今年で活動15周年を迎えるロッカー、山本新(やまもとあらた)さん


昼間の仕事はフリーランスのグラフィックデザイナー。
ファンタジックな世界を好み、妖精と民俗学を研究するフェアリー協会にも属しておられます。


プロフィールは







山本新(やまもとあらた)


ようせい世界に棲む打ち込みロッカー。


黄緑色の鮮やかな衣装を身にまとい各地でライブショーを繰り広げて聴衆の笑顔を頂戴している。


独自の視点で作るハードロックを基調とした楽曲はコアな音楽ファンから一般の方まで世代を問わず幅広く楽しまれている。


「ようせい世界」に棲んでいるらしいが、妖精なのか人間なのかは明らかにしていない。






とのこと。
謎めいていますね~。


ステージングの特徴は、打ち込みをバックにギター一本で舞台を駆け巡る、エネルギッシュなスタイル。
縦横に走りまわるため、ソロアーティストなのにマイクスタンドは舞台両端に2本。



▲右に左に駆け巡る。なのでソロアーティストなのにマイクスタンドは左右に2本


森の妖精を思わせるスリットが入ったライムグリーンのワンピースを着て、スカッとキレよくターンする姿に、ショーマンシップを感じずにはいられません。



▲「ようせい世界」からやってきた山本新さん。されど「妖精なのか人間なのかは明らかにしていない」



▲スリットが入ったワンピース姿は妖精そのもの。ロック界のティンカー・ベル


そういった、聴かせるだけではなく見せる要素もふんだんにあり、曲もアクションもとにかく楽しい。
山本さん自身も単なるライブではなく「ライブショー」と呼び、京都はもとより全国各地へ、なんと年間およそ60本ものライブショーを敢行します。


山本新さんが行うライブショーのもうひとつ大きな特徴は、歌う曲が、ほぼ「食べ物にまつわるもの」であること。


曲のタイトルは「マカロニ」「乳酸菌王」「寒天寒天」「ソイ!」「ジンジャークラスター」などなど、フード! フード! フード!
さらには焦げ付いた鍋をきれいにできる「重曹」の素晴らしさを熱いソウルを込めて熱唱。


▲大豆の魅力のシャウトする「ソイ!」



▲歌詞は成分にまで言及される



▲ついには焦げ付いた鍋をきれいにできる「重曹」の素晴らしさまでもをエモーショナルにうたいあげる


サードアルバム『DINING ELEVEN』(ダイニングイレブン)に至っては収録した11曲すべてが食べものについて歌ったもの
精肉に感謝した「けものたちに感謝」、果物に感謝した「専ら(もっぱら)フルーティー」など、どの曲にも食材への感謝、リスペクトに溢れています。



▲収録11曲すべてが食べものについての曲というサードアルバム『DINING ELEVEN』(ダイニングイレブン)



▲お肉になった動物たちに感謝した「けものたちに感謝」



▲果物への愛を歌う「専ら(もっぱら)フルーティー」


そういった食べ物に対するラブを、まるでステージで調理をするかのように、ハードロックアレンジに乗せ、ざっくざくとカッティングしながらシャウト。
ロッカーであり、曲をおいしく調理するシェフでもあるかのようです。


そんな山本新さんに、いったいなぜ食べ物の曲ばかり歌うようになったのかを、うかがってきました。


■きっかけは難病「潰瘍性大腸炎」の発症



▲日頃はグラフィックデザインの仕事をしている山本新さん


――山本新さんのライブショーは食べ物について歌ったハッピーな曲が多く、どのナンバーもおいしそうで、おなかがすきます。なぜ食べ物の曲をたくさん歌うようになったのですか?


山本新
「実は……2008年の秋に潰瘍性大腸炎にかかってしまったんです」


――え? 潰瘍性大腸炎?


山本新
「国から難病指定を受けている病気の一種です(根本的な治療法がない、厚生労働省のさだめる特定難治性疾患)。なにを食べても5分から10分したら、きりきりした痛みと、鈍痛のあいだのような独特な腹痛があり、くだしちゃう。それが一週間続いて、ついに粘血便が出るようになりました。そうして病院へ行くと、潰瘍性大腸炎だと診断されました」


――ええ? そういったご病気のお話ってステージではまったくなさらないですよね?


山本新
「はい。ライブショーではひとこともそんな話はしないです。楽しく、ぶちあがる感じでやりたいので」


――原因はなんなのですか?


山本新
「潰瘍性大腸炎はストレスにより悪化すると言われていますが、原因そのものは不明なんです。当時の僕は新曲の歌詞が仕上がるまで何度も始めから書き起こしたり、ステージが終わると細かな反省文を書くタイプで、そういった過剰に几帳面な性格が発症の原因かもしれません。ですが、本当のところはわかりません。『脳腸相関』と言って、脳と腸は密接に影響を及ぼしあうそうなんです。人間が脳で考えていることは人それぞれなように、脳とつながった腸が病気になるプロセスも、人間の数だけある。一概にこういう理由だとは言えない病気なんですよね」



▲「適度に果物 無理せず果物」。歌詞が仕上がるまで何度も頭から書き起こす



▲ライブショーが終わるごとに細かな反省点をノートにびっしり書く。「自分でも几帳面すぎるかもしれないと思う」と山本さんは語る


■「食べられるものがどこにもない」という絶望


――大腸の病気だと、食生活が大きく制限されるのではないでしょうか。


山本新
「発症した頃は本当になにも食べられなかった。野菜もだめ。食物繊維がだめで、おかゆですらくだしてしまうんです。街へ出ると、パン屋さんがあって、喫茶店があって、コンビニがあって、食べ物が溢れている。なのに『自分には食べられるものがどこにもないんだ』。このときに受けた絶望感は忘れられません。こたえました……。もともと自分で料理もするし、食べることが好きだったもので、食べられないということが心底つらかった。潰瘍性大腸炎は言わば“免疫が自分自身を敵だと思って攻撃する病気”なので、ゆるやかに自殺をしているような日々でした。食餌制限は現在も継続しています」


――失礼ながら、そういった背景があるのは存じませんでした。潰瘍性大腸炎にかかって、まず考えたことはなんですか?


山本新
「出演が決まっているイベントがたくさんあったので、どうやって乗り切ろうかと考えました」


――山本さんのステージはアクションが激しくてエネルギッシュですし、年間のステージ数も多いですよね。ご病気の状態で続けるのはたいへんではないでしょうか。ロッカーとしての活動をやめる、あるいは休むというお考えはなかったのですか?


山本新
「医師からは『病状が悪化すれば全腸摘出という場合もある』と聞きました。いっときは音楽をやめるかどうかの決断を迫られていました。そんな状態のとき、信州の方からイベントに招かれたんです。わざわざ安くない交通費をつくって遠く京都にいる僕を呼んでくれる人がいる。自分を求めてくれる人がいるんだって感激して、絶対に体調を戻し、健康になって、ライブショーを続けようと誓ったんです。そして、いまよりずっとげっそりしていてフラフラだったですが、ステージからお客さんの楽しそうな顔を見ていたら、音楽をやめることはありえないと改めて思いました」


■前向きな気持ちでつけ始めた「クソノート」


――病気に打ち克つために、どのようなことをされましたか?


山本新
「まず『なにをどんな調理法で食べると、どんな状態の便が出るか』を“〇△×”の三種類にわけて、お通じの様子をカレンダー仕様のノートにつけ始めたんです。僕はそれを『クソノート』と呼んでいたのですが」



▲山本さんは「なにをどんな調理法で食べると、どんな状態の便が出るか」を三段階評価でひたすら記録し続けた。そうして次第に、自分が食べられるもの、食べられる方法が見えてきはじめた


――便の状態をノートにつけることは快方につながりましたか?


山本新
「つけ始めた頃は一日に×が10個以上並んで、自分で書いたノートを見るのが苦しかったです。でもそうやって記録を続けていくうちに『牛肉と豚肉はダメだけど、鶏肉は少し食べられる』など、少しずつ、自分が食べられるものがわかってきました。あと、豆腐はかろうじて食べられたんです。なのでライブショーの本番前に、なにもかけないプレーンな豆腐をスプーンですくって食べていました。あれが僕の栄養補給でしたね」


――なにもかけない豆腐だけであのパワフルなライブショーを……。もちろん生きてゆくための最善の策なのでしょうが、ロッカーとしてのテンションを保つのは難しいのでは。


山本新
「治癒のための食事だけを続けていると気分が落ちるときもあります。たとえば、朝はやっぱり、以前と同じようにトーストが食べたい。健康な時と同じものを食べたい。なので塩だけふったトーストを、ひたすら噛みつぶして食べました。1枚のトーストを食べ終えるのに20分かかりました


■おいしいものが食べられる。なんて素晴らしいことなんだ


――あと訊きにくいことですが、心配なのはステージです。潰瘍性大腸炎は下痢や血便をともなう病気だそうですが、演奏に支障をきたすことはないのでしょうか。


山本新
「ステージに上がったらやりきる。そう決めているので、ショーを最上のものにするために、生活のすべてをそこに向けて整えていきます。全国ツアーなどは青春18きっぷを利用することが多いのですが、どのタイミングでトイレに行くのかを第一に考えながら移動スケジュールを立てます。青春18きっぷでの移動は乗り換えの時間がスリリングなので、トイレのタイミングを誤ると大変なことになるんです」


――食べ物への感謝の気持ちを曲にし始めたのは、潰瘍性大腸炎の発症後なのですか?


山本新
「ほとんど発症したあとですね。以前から『マカロニ』というぶちあがる曲があったのですが、ほかはすべて発症後にできたものです」


――それはやはり、食べられないという経験があったからでしょうか?


山本新
「食べられることの素晴らしさを知ったからですね。みんなと同じおいしいものが食べられるって、なんて素晴らしいことなんだって



▲潰瘍性大腸炎の発症後、山本さんはしばしばライブショーに食べ物への感謝の気持ちを表す演出を採り入れるようになった





――歌われる食材が、とてもシンプルですよね。大豆、寒天、生姜、乳酸菌などなど。誤解を恐れず言うならば、ハードロックな曲調とのギャップがおもしろいと思いました。料理名ではなく食材を歌にされるのはどうしてですか?


山本新
「たとえば生姜とか、暮らしのなかで決してメインになることはない。でもおいしい。料理にいいエッセンスを与えてくれる。生姜があるからおいしくなるものって、たくさんありますよね。そういった料理を支える食材に対する感謝の気持ちは以前よりも強く感じるようになりました。そういう気持ちが曲になっていったんです」


――食べ物を曲にしてよかった点はありますか?


山本新
「聴いてくれる方の年齢層が広がりました。お子さんの前で演奏しても、すごくのってくれる。いろんな世代の方に聴いてほしかったので、それは嬉しい反応でした」


――山本新さんが歌う食べ物の曲は、どんなに熱くシャウトするナンバーでもほのぼのとした慈愛が伝わってくるのですが、食べられることへの喜びがこめられているからなんでしょうね。


山本新
「潰瘍性大腸炎は完治が難しい病気と言われています。いまでも家ではビールや揚げ物は控えているし、食用油はもっぱらオリーブオイルを使っています。以前に比べて、食べられるものはずいぶん増えました。とはいえ潰瘍性大腸炎は症状が改善する寛解期と症状が悪くなる再燃期を繰り返すため、今後どうなるかはわかりません。正直いまだに精神的に完全には立ち直れていません。でも一生つきあう病気なのだったら『闘病を楽しもう』と思ったんです。そしてこれからも食べ物への感謝の気持ちを歌ってゆきたいですね」


MCなどで病気の話をおくびにも出さず、パワフルで多幸感あふれるショーからは、まさか闘病生活のさなかにある人だとは想像もつきませんでした。
これまで山本新さんのライブショーをご覧になった方でも、こういった背景はご存じなかったのでは。


明かしてくださった山本さんに感謝するとともに、食べ物への感謝を歌った曲って、「もっとも根源的なラブソングだよな」と、マカロニを茹でながら考えました。


関西を中心に全国へ飛びまわる山本新さんのライブショー。
ぜひ目で耳で、そしておなかで体感してみてください。



山本新webサイト
http://www.yamamotoarata.jp/



(吉村智樹)