男に騙され消息不明の戦前清純派アイドル…加護ちゃんにも通ずる特徴とは

2016/12/29 20:46 星子 星子





戦前からデコちゃんの愛称で親しまれた子役出身の高峰秀子や、日本映画黎明期からの大スター・田中絹代のように戦前・戦後を通じて活躍した女優も数多く存在する一方で、戦前の芸能界で華々しい活躍をしていたにもかかわらず、第二次世界大戦も混乱の最中消息を絶った、水久保澄子という悲劇の女優がいたことをご存知ですか? 今回はそんな、“悲劇の美少女”とも呼ばれた青春スターの軌跡を追ってみたいと思います。


■クリクリした目の少女が理想的なアイドルになるまで

1916年生まれの水久保澄子は、クリッとした大きな瞳と、エキゾチックなファニーフェイスが魅力の現代的な美少女でした。東京目黒の資産家の娘として生まれ、洗足高等女学校に入学するも、父親の事業の失敗により中退。自立して家計を助けるため、東京松竹楽劇部(松竹歌劇団)に入り、レビューガールとして働き始めます。



舞台で踊りながらも映画界入りを切望する彼女の熱意が会社に伝わり、蒲田撮影所の所長の計らいで撮影所入りした彼女は、ほどなくして成瀬巳喜男監督の『蝕める春』(1932年)という映画で、美人三姉妹三女役を射止めます。



没落したブルジョワ姉妹の末っ子で自活の道を選ぶ三女、という設定も、彼女自身の境遇によく似ており、新人とは思えない好演をして世間の注目を集めます。続いて出演した島津保次郎監督の『嵐の中の処女』(1932年)の演技も好評で、青春スターとしての人気を不動のものとします。レビューガール出身で踊れる上に演技も出来る美少女は、現代で言うところのアイドル的存在だったのではないでしょうか?



当時の彼女の写真を見ると、まさに、平成のアイドル歌手のようにオシャレでキュート。髪型がサザエさんヘアでレトロなワンピースを着ている所もまた、今のアイドルが戦前のドラマに出演しているように見えて、濡れたような大きな瞳も蠱惑的です。



モデルでタレントのローラや、『乃木坂46』の齋藤飛鳥のように、中東系の血を感じるエキゾチックな顔立ちも個性的。濃いメイクもモード系にかっこよくキマっています。



戦前の女優に多い“正統派和風美人”ではありませんが、それでも、薄化粧をして髪を結い上げた姿は、竹久夢二の絵のように可憐で儚げです。



『映画論叢 水久保澄子の悲劇』(丹野達弥著、出版社:星雲社)によると、彼女は雑誌のインタビューで <「ラブシーンの気持ちが全然、私には分かりません。働き続けてきた私には、恋というようなものがどんなものなのか、見当がつかないんです。私はただスクリーンの人形にすぎません(『日の出』昭和8年十月号)」> と述べているとのことです。

まさに現代のアイドルの理想形のような受け答えで、時代背景的を考えても事実である可能性が高いことが、その後の悲劇をよりいっそう切なく感じさせます。


■実の父親に搾取されて自殺未遂…失速する清純派アイドル


そんな理想的な青春スター、水久保澄子がなぜ、“悲劇の美少女”と言われる方向に失速してしまったのか? 彼女が躓いた最初の障害物は、ほかならぬ“実の父親”でした。

松竹で重用され、18歳以下の若さで主役を演じ、充実した女優人生を送っていた彼女でしたが、1934年に何故か日活に電撃移籍してしまいます。一説によると、水面下で彼女の父親が、高額な金銭を提示した日活と勝手に契約してしまった、と言われています。



もとはといえば事業好きで山気のある父親の仕事の失敗から女学校を中退して働き始めた水久保は、再び父親とお金の問題で、行く手を阻まれます。

女優として大切に育ててもらった松竹に恩義を感じていた彼女は泣いて抗議たとも言われていますが、そんな願いも叶わず、移籍が決定してしまいます。ヤケになった彼女は、清純派アイドルの鏡のような生活から一転、酒を飲んで遊び歩くようになり、ついには薬物による自殺未遂報道まで起こし、世間を騒がせます。



堕ちた清純派スターに日活もよほど腹に据えかねたのか、代役として星玲子を立て、水久保澄子のみならず、同じく女優の道を志していた姉の田川清子までクビにしてしまいます。結果、水久保澄子は、今で言う“干された”状態になりました。


■フィリピンの大富豪を名乗る男に騙され消息不明に

彼女のもうひとつの大きな失敗の原因は、“男を見る目も無さ”にありました。日活をクビになった後もかつての名声を活かし吉本興業のダンスホールで踊っていた彼女は、然るべき禊の期間をおけばまだ十分にカムバックする可能性があったように思えます。しかし、ある時唐突に、フィリピン名家の出身で医学部留学生と名乗る男と電撃結婚をしてしまいます。



“百万長者で南洋で王子のような生活をしている”というハンサムな青年と、言葉もろくに通じないまま結婚……。素人が聞いても非常に危ない話に思えますが、彼との間に子供を授かり、孫の顔を見せようとフィリピンに渡った彼女は、彼の実家が裕福ではなく、むしろ貧しいことを知り、衝撃を受けます。



当時の雑誌によると、逃げるように帰国した水久保澄子は、当時の日本で混血児が好奇の目で見られる現実を憂慮し、赤ん坊を手放したとのこと。彼女を追いかけて日本に来た彼がフィリピンに帰る時に、まだ乳児であった我が子を彼に託したと言われています。

その後の彼女の消息については、上海でダンサーになった、海外で富豪の愛人になった、自殺をした……、などなど諸説あるものの、いまだ謎のままです。




日活を干されても、“水久保澄子”には確かな実力とネームバリューがあり、まだまだ若く美しい年頃でした。男で失敗さえしなければ、芸能界のみならず日本そのものの価値観が一変する時代を超えて、戦後の映画界での活躍を見ることができたかもしれません。



しかし、美貌と才能には恵まれていた彼女ですが、決定的に家族運と男運がありませんでした。10代から芸能界に入り働き詰めで、一時期は不自然なほどストイックに恋愛を遠ざけていた少女に、「嫌ならいつでも辞めて戻ってこい」と言ってくれる一家の大黒柱的な父親がいなかった。それどころか、娘の稼いだお金をアテにする父親(家族)の存在が重くのしかかる……。現代のアイドルに置き換えて考えると、週刊誌などで報道されている加護亜依の家庭環境にも似た所があり、“男選びに失敗する”フラグが立ちまくっていますね。

そう考えると、少女に過剰なまでに“恋愛禁止”を求めて同世代の少年との健全な交流も禁止した上で、大人の男性のために働かせる“アイドルシステム”自体に、少女の“男性観”を歪ませる闇を感じてしまいます。


※ 参考 - 『映画論叢 水久保澄子の悲劇』(丹野達弥著、出版社:星雲社)




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(星野小春)