【カラー】原爆投下7ヵ月後もなお壊滅的だった広島の街並み

2016/8/15 19:05 服部淳 服部淳

どうも服部です。この記事を公開するのが71回目の「終戦記念日」ということで、昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回はさきの大戦で最悪の出来事の一つである広島の被爆被害について、前回に続けて紹介していきたいと思います。

映像は日本における空爆の被害状況を調査したUSSBS(米国戦略爆撃調査団)によって撮影された、広島に原爆が投下された約7ヵ月後のカラーフィルムで、音声はありません。
※動画はページ下部にあります。


元安川に架かる元安橋をご夫婦でしょうか、男女が渡っていきます。ナレーションはついていませんが、詳細については、「US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)」の元記事に掲載されている撮影メモを参照しています。


橋を渡り切ると、対岸に原爆ドームが見えてきました。


映像前半では橋の灯籠にスポットライトが向けられ、いくつもの灯籠が映しだされます。


こちらは橋の下を通過していくボート。


映像の中で一番鮮明と思われるカチンコを挟みます。March 22 1946(昭和21年3月22日)、終戦から7ヵ月後です。カメラマンはハリー三村(三村明)氏。三村明氏については、映画.comの記事「原爆投下後の広島をカラー撮影した映画キャメラマン三村明の軌跡」で詳しく取り上げられていますのでご参照ください。


引き続き爆心地周辺です。上着はセーラー服、下はモンペ姿の女学生らしきが歩いていきます。


再び原爆ドームが見え、その右隣りに形を留めているのは「旧広島商工会議所」のようです。


撮影メモには、多くの場面で爆心地からの距離が記されていますが、ここは1625フィート(約495m、以後メートル表記のみ)の地点。爆風で吹き飛ばされた観音像のようです。


頭部は変形しているのでしょうか。悲しげな表情にも見えます。


首から上を失った木像も捉えています。


ほぼ水平に倒れた松の木が、道標に乗りかかっています。爆風の凄まじさを物語っています。


撮影メモによると、裁判所だった建物の一部だそうです。


同建物の頑丈そうな鉄の扉も、ひん曲がって開いています。


図書館だったという壁面だけが残る建物前を、和装の女性が通りすぎていきます。


傾いてしまっている建物は、広島市の目抜き通り、本通のシンボルだったという「下村時計店の時計塔」のようです(参考記事:朝日新聞「ヒロシマ カメラの証言」、「広島本通の成り立ち」)。爆心地からは約640m。


時計塔の重さに耐えられず、1階部分が潰れてしまったようです。しかし、もともと目抜き通りということで、被爆後も人通りは多いようです。自転車で通る男性や……、


大八車に竹を積んで運ぶ男性たち。何かの修理でしょうか?


子供連れの女性たちは、カメラの存在が気になるようです。


荷馬車も通ります。


所変わって、爆心地から約340mの大通りだそうで、こちらも壁面だけが残る建物前を人々が通っていきます。終戦後7ヵ月経ってもこの瓦礫の量です。


爆心地から1.3kmほどの場所には、焼けて動かなくなった広電(路面電車)が放置されています。その右奥には、緑色の走行可能な広電の姿も見えます。


ほぼ見えないですが、撮影メモによると、広電のボディーに貼り付けられている紙は、同年4月10日に行われる日本で初の男女普通選挙制度が採用された衆院選の選挙ポスターのようです。手前には学ランのようなものを着た男性の集団が通っていきます。


花崗岩の柱が転がっています。左側には狛犬らしき姿も見えますが、こちらは爆心地近くにあった「広島護国神社」だそうです。現在の広島護国神社は、1956年(昭和31年)に移転、再建されたものです。


左後方に大鳥居が見えますが、この大鳥居以外はすべて破壊されてしまったようです。

爆心地を示すモニュメント
By Micha L. Rieser - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2851092


こちらは、広島の原爆爆心地にあるモニュメントですが、掲載されている写真のすぐ右後ろにこの大鳥居が見えます(画像をクリックすると拡大表示できます)。




地元の子供たちにカチンコを持ってもらっています。


その子供たちが、瓦礫の上を歩きながら、何かを探しています。お金になりそうなものを探しているのでしょうか。


爆心地から約366mのところに放置されていた米国車ドッジのセダン。前回記事でピックアップした映像にも捉えられていました。


こちらは映像の15:30頃からの場面。焼け残った建物の背後を蒸気機関車が通過していきます。爆心地から1.6kmほど離れた場所ですが、この周囲はこの建物以外すべて燃えてしまったそうです(爆心地から半径約2kmがほぼ全焼したといわれています)。撮影メモでは、すぐ前に広電の線路、背後に国鉄の線路で挟まれていたことから、周囲から燃え移らずに済んだのだろうと推測しています。




別のアングルから見た元安川、原爆ドーム、旧広島商工会議所。この周辺にいた方々は、原爆さく裂して瞬時にほとんどが亡くなったと思うと胸が詰まります。


映像最後は、原爆投下の8年前に建てられた8階建ての「中国新聞社」の社屋を捉えています。外壁だけが残っているような状態です。中国新聞のウェブサイト「1945 原爆と中国新聞」では被爆して間もなくの社屋の写真(第6話)他、とても貴重な原爆に関する映像が閲覧できます。



原爆投下直後には、「75年間は草木も生えない」といわれた広島・長崎の被爆地域ですが、そんな風評を聞きつつも復興に尽力された方々、そしてもちろん被爆で亡くなられた方々のことを、少なくとも「原爆の日」や「終戦記念日」には毎年思いを馳せたいと感ずる71回目の終戦記念日でした。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家) ‐ 服部淳の記事一覧

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【動画】「Atomic Bomb Physical Damage, Blast Effect, Hiroshima, 03/21/1946 - 04/01/1946」