【戻りたい】懐かしい東京に再会できる音楽PV10選【戻りたくない】

2016/5/12 11:46 DJGB DJGB


2020年の五輪に向けて、再開発が進む東京。
先日のゴールデンウィークにも東京ガーデンテラス紀尾井町、大手町フィナンシャルシティグランキューブなどの商業施設が続々開業。現在も丸の内、虎ノ門、品川、渋谷などで大規模な再開発プロジェクトが進行中です。ほんの数か月ぶりに訪れただけで、街並みがガラっと変わってしまっていることも珍しくありません。

「ここ、前は何のお店だったっけ?…」

死にたいくらいに憧れたハナノミヤコ、大東京。常に変貌を続けることが、その活力の源泉です。が、ときどきそのスピードについていけず、ふと立ち止まりたくなることもまた事実。そこで今回は、80~90年代のミュージシャンのプロモーションビデオ(PV)から、懐かしい東京の風景に再会できるものを10本チョイスしてご紹介します。


(1987年・東京近郊)
●BOOWY 「季節が君だけを変える」


当時の空気がよく伝わってくるユニークなPV。出演している人の多くはBOOWYのファンクラブ会員でした。ある日突然ファンクラブから「PVに出てみませんか?BOOWYには会えませんが」というお誘いがきたのだそう。撮影場所はさまざまですが、西新宿、渋谷、代々木公園らしき場所が確認できます。なおこのPVには、氷室京介の高校の後輩でもあり、のちにBUCK-TICKとしてデビューする櫻井敦司らしき人物が映っているのですが、真相は未確認です。


(1990年・新宿歌舞伎町周辺)
●川村かおり「金色のライオン」


ジーンズ姿の川村かおりが明け方の歌舞伎町を歩く映像に、60年代学生運動の記録映像がカットバック。「新宿も、もう変わっちゃったね。僕らが知り合ったあの頃は…」と歌う川村は、当時まだ19才でした。2009年、歌舞伎町のシンボルだったコマ劇場は閉館し、川村かおりは乳がんのため38才の若さでこの世を去りました。このPVから四半世紀が過ぎています。


(1988年・新宿中央公園)
●THE BLUE HEARTS「ラブレター」


新宿周辺からもう1曲。実はこの映像はPVではありません。『ロッキング・オン』編集長(当時)の渋谷陽一が企画構成を務めたテレビ番組「HITS」(テレビ朝日)内で放送されたもの。新宿ロフトでのライブ直後に収録されたため、メンバーのテンションがちょっとおかしいところも魅力です。


(1981年・都営地下鉄三田駅)
●The Police 「So Lonely」


少し時代をさかのぼりますが、洋楽からもエントリー。若き日のスティングが自由気ままに東京の地下鉄の車内を歩き回っています。楽曲の発表は1987年ですが、このPVはその少しあとの1980~81年ごろに撮影されたもののようで、香港と東京の映像がごちゃ混ぜ。チラチラと映り込む『週刊文春』の中吊りが気になります。


(1990年・銀座、渋谷、六本木周辺)
●ベリンダ・カーライル「Vision of You」


冒頭に映り込んだ森繁久彌の広告が『0077 第二電電(現在のKDDI)』であることに注目です。当時日本で「ブティックJOY」のCMに起用されるなど人気絶頂だったベリンダ・カーライル。アジアツアーのステージと、その合間に撮影した映像で構成されたこのPVには、銀座や渋谷、六本木らしき場所が確認できますが、地方出身者の私DJGBには、ベリンダが訪れているお寺がどこなのか分かりません。どなたか教えて。


(1991年・渋谷・原宿周辺)
●槇原敬之「どんなときも。」


映画「就職戦線異状なし」の主題歌として大ヒットしたこの曲も、PV撮影は渋谷・原宿近辺のようです。サビで映るスニーカーショップはおそらく原宿・竹下通りのムラサキスポーツ。スペイン坂周辺と思しき場所も映ります。


(1992年・幕張海浜公園)
●WANDS「もっと強く抱きしめたなら」


首都高あたりから撮影されたと思しき東京の街並みと、千葉県・海浜幕張公園の広大な芝生が印象的。余談ですがこの曲は浅野温子がCMキャラクターを務めた「三井生命」のCMソングなのですが、作詞を手掛けた(WANDS上杉昇との共作)コピーライター・作詞家の魚住勉は、浅野の夫でもあります。


(1993年・渋谷 公園通り)
●佐野元春 「彼女はデリケート」


1993年10月17日、渋谷・公園通りで開催されたゲリラライブの模様をそのまま収録。 当時駐車場だった会場には、現在GAPストアが建っています。女性のファッションにまだバブル感が色濃く残っているのも興味深いです。佐野は1985年の元日にも代々木公園でゲリラライブを敢行し、「ヤングブラッズ」のPVを収録しています。


(1994年・原宿)
●大江千里「白い雪まいおりた」


いろいろなところに移動しているようで、よく見ると原宿・表参道の直線距離およそ200m程度を行ったり来たりして撮影していることが分かります。現在表参道ヒルズとなっている同潤会青山アパートメントは2003年に取り壊し。その内部で撮影したPVというのは、おそらくこれだけではないでしょうか。オープンカフェの先駆け的な存在だった「カフェ・デプレ」など、懐かしいお店の軒先もチラリ。


(1996年・渋谷、原宿、代々木周辺)
●尾崎豊「もうおまえしか見えない」


尾崎豊の死から4年後の1996年に発売された曲のため、もちろんPVに本人は登場しません。いわゆる”裏原宿”ブーム当時の原宿キャットストリート、古着やスニーカーの宝庫として人気だったジャンクヤード、そして取り壊されてしまった旧・国立競技場など、あふれる90年代感にアラフォーたちは感涙必至です。


まとめ:「残そう」と思わなかったもののなかに、真実がある。

いかがでしたでしょうか。当時の音楽と風景をセットで鑑賞すると、さらに「あの頃」の感覚がリアルによみがえりますね。記録映像とは異なり、ミュージシャンのPVはあくまでも新曲を宣伝するための映像。最新のファッションに身を包み、最新のトレンドスポットで撮影されることで、その時代時代の“空気感”が真空パックのように閉じ込められるのです。

あえて「記録しよう」としていないからこそ、本当の想い出が記録されているのかも知れませんね。

くだらなかったあの頃に、戻りたい~、戻りたくない!


(バブル時代研究家 DJGB)


■「バブル」記事一覧
【1週間しかなかった】昭和64年の出来事まとめ
RUN DMCだけじゃない!80~90年代ミュージシャンとスニーカーのコラボ史
いまだにバズり続ける60年前の名作エイプリルフール動画「スパゲッティの木」
【さよならザウルス】シャープとアップルが生み出した「PDA」をふりかえる
【社名変更で注目】ヤマザキナビスコのブレない広告戦略「沢口靖子CM」「カップ戦」
【結成2年目のSMAP】彼らは推されていたのか、推されていなかったのか?
名作CM「クリスマス・エクスプレス」でキレキレの動きを披露していたアノ人に会ってきた!
昭和歌謡史の謎、菊池桃子が率いたロックバンド「ラ・ムー」の【うしろの2人】をふりかえる
バックナンバーはこちら