【昭和23年版】NHK朝ドラの題材「暮しの手帖」第1号の中身を見てみた

2016/2/5 16:23 服部淳 服部淳


どうも服部です。昭和時代をさまざまな形で振り返っていくシリーズ記事、以前の記事「次期【NHK朝ドラ】のモデル「暮しの手帖」昭和40年版をダイジェスト紹介」に引き続き、2016年4月スタートのNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」の主題である雑誌のモデル、「暮しの手帖」を取り上げていきます。今回は記念すべき第1号をピックアップしました。


表紙はこちら。当初は「美しい暮しの手帖」というタイトルでスタート、1953年(昭和28年)12月発行号より、現在と同じ「暮しの手帖」に変わったそうです。

表紙は第1号から創刊者である花森安治氏が担当。花森氏が亡くなる1978年(昭和53年)まで、氏がデザインした表紙画が使われ続けました。


先に96ページ目の「あとがき」にある奥付を見てみると、


「昭和二十三年九月二十日初刷」、「昭和三十四年三月一日十四版」と書いてあります。手にしている雑誌は、発行より11年後に増刷されたもののようです。それでも、ほぼ60年前。


巻頭グラビアページは「可愛いい小もの入れ。」、作り方は42ページ参照とあります。ページ角がさすがに痛んでいます。


同じく巻頭グラビアには、「ブラジアパッドの作り方」というものもありました。現代表記にすると「ブラジャーパッド」です。ブラジャー自体は日本でも大正末期から使われるようになっていたそうですが、パッドは当時はまだ売られてなく、針金と布を使っての手作り方法が紹介されています。

この翌年である1949(昭和24)年夏には、和江商事(現・ワコール)から「ブラパット」という商品名で「ブラジャーパッド」が発売され、大ヒット商品となったようです(参考:ワコールのHP)。時代を先取りしていたんですね。


「自分で結える髪」というページでは、「とと姉ちゃん」の主役のモデルである大橋鎭子氏の妹(三女)の大橋芳子氏がモデルを務めています。「とと姉ちゃん」では小橋美子という役名で、杉咲花さんが演じるようです。


続いての特集では、「シンメトリイ(左右対称)をどんな風にくずすか」というファッション指南の内容となっています。本当に終戦3年後の内容なの?と驚かされます。


そして、「自分で作れるアクセサリ」。花森安治氏が描くイラストに古っぽさが全く感じられないのがスゴイ。大橋鎭子氏と花森安治氏が「衣装研究所」を設立したのが「暮しの手帖」に至るきっかけだっただけに、ここまでの内容は完全に女性ファッション誌ですね。


グラビアページが終わり、ここからは単色刷りになります。「お母さまが作ってやれるオモチャ」ということで、犬のぬいぐるみ作りが紹介されています。材料に「木綿かスフ」と書いてあるところに時代を感じます。スフとは、物資の乏しかった戦時中から戦後にかけて普及した、木綿の代用品として木材パルプから作られた繊維で、水に濡れるとすぐにダメになってしまったそうです。


ぬいぐるみの型紙も付いていました。


30ページ目からは小説家の佐多稲子のエッセイに始まり、18人の著者によるエッセイや小説が続きます。その中にしれっと、川端康成の短編小説「足袋」(短編集「掌の小説」に収録)も混じっていました。川端康成は当時49歳。この前年の年末に無二の友人である横光利一が亡くなり、この年には恩人である菊池寛が亡くなっていることもあってか、死をテーマにした内容となっています。


「お砂糖」というタイトルのエッセイには、この時代の食生活の変化を知れる内容が書いてあります。著者は川島四郎さんという、農学博士・食糧産業研究所々長を務められている方だそうです。

「つい先日までお砂糖と云へば粉薬見たいに小さい四角い紙に包んだのを開いて指先で押しつけてそれについたのをチビチビ嘗めるのが関の山だったが、近頃は配給所からバケツに山盛りにして貰ってくるといふ始末(中略)こゝ四、五ヶ月前頃、誰が想像し得たろうか」(原文まま)


もう1つ、興味深い内容のエッセイがあったので紹介します。「日本婦人のしつけ」という、UP特派員(米国UP通信の特派員。現・UPI)の女性によって書かれた記事です。大まかに要約すると、「日本に来たばかりの頃は日本人女性のおしとやかさに感心させられるのだが、やがてそれに腹を立てるように変わってくる。それは、女性というだけで『服従』のしつけをされてきたことによるものだからだ。でも、この連合軍による占領によって、きっと変わるはず。自分の考えをひた隠しすることが日本婦人の特徴だったが、やがて自分の思ったことを自由に発表できる日がくると望んでいる」。

非常に先見力のある方ですね。

左ページには、根本進氏による「ひとり息子」というタイトルのサイレント漫画が挿入されています。後に、1951年10月1日から1965年3月31日にかけて朝日新聞夕刊に連載されていた「クリちゃん」の作者でもあります。小学生ぐらいの息子を探しに父親が外に出て尋ね回ると、なんとパチンコ屋にいるのを発見。大当たりの景品が自転車であるのを知ると、今度は父親がパチンコにハマってしまうという内容でした。

18歳未満のパチンコ店への入場が禁止されるのは、1951年(昭和26年)のことだったそうです。




66ページ目からは、「すまゐのたしなみ」という特集が組まれ、2畳、3畳、4畳半、6畳の部屋を、洋装に飾り付ける方法が紹介されています。当時の窮屈な住宅事情がうかがい知れます。


ここでもまた、前出の根本進氏の漫画第4弾が差し込まれています。この第1号には5回に分けて掲載がされています。子供のために絵本を買った父親が、読み聞かせの手間を考え、「レコード吹込所」で朗読を録音してくるという内容です。現在でいう録音スタジオといったところでしょうか。




第1号の最後は、花森安治氏による「服飾の讀(読)本」です。「日本人に一番いいスカートの長さ」、「流行の逆手を取る」、「コルセットはゼヒつける」、「外国雑誌をウノミにするのは危険」など、エッジの効いたアドバイスが並んでいます。

ちなみに、「日本人に一番いいスカートの長さ」は、畳に座った時に膝が覆い隠される程度の長さだそうです。



その後の「暮しの手帖」の目玉ともなる「商品比較」やグルメページはまだなく、ファッションとエッセイが詰まった編成だった第1号を紐解いてきましたが、いかがだったでしょうか。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



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