「GIFT」利他について考える

2014/9/2 13:00 なかのひとよ なかのひとよ

誰かのためになにかをしたときの、はずかしいような照れくさいような誇らしさ。

ひとは誰もが、24時間365日善人というわけではありません。たまにはズルもするし、うそだってつく。そしてそんな日陰の姿を、(仮に誰も見ていなくたって)自分自身は必ず目撃しています。だからこそひとは、いわゆる「いいやつ」になりきってるとき、ちょっとだけくすぐったいような気持ちになるのかもしれません。

しかし私は、その不完全な笑みにこそ「ひとのナチュラルな魅力」が潜んでいると思うのです。



例えばつい最近、あなたも一度はタイムラインで見かけたことでしょう、SNSでは「アイスバケットチャレンジ」なる難病ALS患者を支援するためのキャンペーンが話題となりました。

著名人を通じてまたたく間に広まったこの利他的なムーブメントは、しかしやがて各方面でさまざまな論争を巻き起こします。なぜ論争が起こったのか?理由は多々あげられると思いますが、私が特に刮目すべきと感じた点は、それが白か黒か、善か偽善かの二元論で語られていたところです。

情報が細分化されすぎたインターネット空間で、多くのひとは人格やできごとの全体ではなく、断片を切り取ってしかみることができません。そしてそれは大抵の場合、コンプレックスの保護・ポジションの確立のための「見るひとにとって都合のいい断片」に変換されます。ゆえに冒頭にあげたような「ひとのナチュラルな魅力」は失われ、みるひとによっては非人間的な違和感だけが強調されてしまったのではないでしょうか。その断片が集合化したら、それはなおさら……。



大変前ふりが長くなりましたが、本日ご紹介するMr.Childrenの「GIFT」もまた、利他をテーマとした楽曲です。そして同時に、二元論に陥りがちな大人のあやうさと、それらの間で板挟みになったときの打開策とを美しい比喩で教えてくれる、大いなる哲学の集大成ともいえる傑作です。

とはいえそれは具体性の欠ける「ことば」にすぎません。しかしその「ことば」は、きっとあなたが迷ったときに未来を指し示す羅針盤の役割を果たしてくれることでしょう。

GIFT

CDジャケットはモノクロの日常風景=横断歩道の交差点に、ギフトを象徴するリボン。そこにはうっすらと虹色の影ができていて、本編「GIFT」とカップリング曲「横断歩道を渡る人たち」、双方に共通するメッセージを一枚で再現した、見事すぎるデザインです。



利他の美しさ

ご飯を食べればお腹がふくれ、新しい服を着れば気分が高まるように、値札のついたモノはすべて手に入れることでひとのなんらかの欲求を満たし、それと引き換えに支払うお金は(当然ですが)手放した分だけ減っていきます。

しかしそれとは真逆に、手放すことではじめてひとの欲求を満たし、価値が生まれるモノがあります。

それがギフトです。



「一番きれいな色ってなんだろう? 一番ひかってるものってなんだろう?」

歌いだしで主人公(僕)は、一番がなにかを探しています。しかしそれは、決して自分のためにではありません。

「僕は探していた 最高のGIFTを 君が喜んだ姿をイメージしながら」

そう、パートナー(君)にあげるため。すなわち僕にとって一番きれいな色とは、君にとって一番きれいな色のことだったのです。

続けて僕は、「本当の自分の姿」や「生まれた意味」という、ひとにとって最大の疑問もまた、君にそのギフトを手渡したときに解ける──つまりここで、僕が存在する意味は君が作ってるということ、そして君の存在する意味もまた僕が作ってるということ、互いが与え合うことで価値が生まれていることを予感するのです。



「知らぬ間に増えていった荷物も まだなんとか背負っていけるから 君の分まで持つよ だからそばにいてよ それだけで心は軽くなる」

さらに二番のBメロでは、君の荷物(マイナス)を引き受けることが僕にとってプラスになることを示します。これは15枚目のアルバム『SUPERMARKET FANTASY』で「GIFT」の前に収録される楽曲、「風と星とメビウスの輪」でも歌われる、最高の好循環、愛の無限連鎖と共通するメッセージです。



虹色の子どもたち

サビで歌われるのは、主に色彩を比喩に使った葛藤と対策です。

「白と黒で答えろという 難題を突き付けられ ぶち当たった壁の前で 僕らはまた迷ってる」

ひとの成長過程を色で例えるなら、赤ちゃんが透明で、子どもは虹色、大人は白と黒に置き換えられます。

すべての子どもの肉体は性の目覚めとともに男女に分けられ、またちょうど同じころ、精神ではうっすら善と悪がその片鱗を見せ始めます。理性や欲望、本当やうそ、動物のように自然体を求める心とシステマティックな社会のしくみに板挟みにされ、葛藤したり、攻撃的になったり……。(反抗期とはいわば、そのグラデーションの波をうまく乗りこなすための通過儀礼のことをいうのでしょう。)

「白と黒の間に 無限の色が広がってる 君に似合う色探して やさしい名前付けたなら」

では、続けて歌われる白と黒の間の色とは、灰色のグラデーションのことでしょうか?

答えはノーです。理科の授業で習ったと思いますが、色の三原色(CYM)は重ねると黒(K)くなり、光の三原色(RGB)は重ねると白くなります。つまり白と黒の間に広がる無限の色とは、大人になる前の色、すなわち子どもをあらわす虹色のことを指しているのでしょう。(「GIFT」のミュージックビデオでは、そのことを裏付けるようにMr.(大人)とChildren(子ども)があらゆる方法で虹を作る実験を行っています。)



「降り注ぐ日差しがあって だからこそ日陰もあって その全てが意味を持って 互いを讃えているのなら もうどんな場所にいても 光を感じれるよ」

そして一番のサビで歌われた白と黒は、二番のサビで風景のなかの日差し(白)と日陰(黒)に置き換えられます。対局のものがあるからこそ、もう片方が存在する。これはAメロとBメロで歌われる、僕と君が「利他であることによって存在する」ことと同じです。ギフトを贈るように、相手を認め、讃え合うことで、どんなマイナスもプラスに働く。そしてそれは世界も同じだということ、そうやって世界はできているということを、ここで結論付けるのです。



最後に僕は、君からもらったギフトを抱きしめて楽曲は幕を閉じます。もし選ばれるのが僕じゃなかったとしても、その不幸さえ幸福として受け止めることができたら、それは究極のやさしさ、強さとなる。ひょっとしたらそれが、胸の奥でひかり続けるギフトの正体なのかもしれません。



──答えはいつも、白と黒の間にあるということ。そしてその答えは、僕の主観ではなく君の主観が決めるということ。そのことに気づかせてくれたこの楽曲もまた、Mr.Childrenから聞き手に与えられるギフトに違いありません。なぜなら聞き手がいてはじめて、「音楽」や「ことば」にも意味が生まれるのですから。

そしてこの駄文もまた、あなたがクリックして目に届くことで意味が生まれるもの。あなたが価値を見出してくれたときにはじめて、私にも「はずかしいような照れくさいような誇らしさ」が生まれるのです。



「僕のほうこそありがとう」



Cメロで歌われるこのことばを不完全な笑みで引用し、本日は締めくくりとさせていただきます。




ナカノヒトヨ