藤田朋子の「本来ならば満月」第二回:「記念日の意味」

2014/8/11 20:00 藤田朋子 藤田朋子




私が小さい時には、8月15日の近くになると、戦争の番組が目白押しでした。
季節もの、というか。

お正月には、芸能人の宴会が目白押し。
夏には、怪奇特集の番組が目白押し。
のように。

でも、ここ何年か、あまり、特に季節感ない感じがしています。お正月も、あっという間に通常番組になるし、お正月だからと言って着物姿も着る必要もなくなったし、夏にお化け特集の番組も少なくなったし。

そして8月15日が近づいても、さほど、終戦記念特集もない気がします。

で、こないだ、ふと、想ったのです。
よく「戦後」という言葉を使いますが、あれ、日本だけなのかなと。

漠然と「戦後」と言える国は少ないんじゃないのかなあ。と。

私、あんまり歴史とか詳しくないから、わかんないけど、日本は第二次世界大戦の後、戦争というものに巻き込まれていないから、戦後、というと、すなわち「第二次世界大戦後」という意味になるんですよね。

アメリカも戦後って言うのかなあ。ベトナム戦争や、イランイラクに行ったのとか、戦争、だから、戦後って、どの戦争の後の事か、戦争の名前を言わないと区別出来ないんじゃないのかな、とか思いました。

つまり、日本は第二次世界大戦の後、ずっと戦争に関わらなかった。なんて幸せな国なんだろう、と想ったわけです。

これって素晴らしいんじゃない?
つまり、平和だった。


平和という言葉の意味について、平和な国に居る私たちは、気づきにくいだろうなとも思いました。それこそ私が小さな頃から、すでに「平和ボケ」と言う言葉は使われていました。
平和ボケかあ。と小さいながらに、このままじゃいけないんだな気持ちを抱いたのを覚えています。

で、今、平和って何だろう。
平和ってどんな事だろう。


答えはありません。
戦後、が長く続いている幸せ。
そして、平和だなと感じている今。
これがイコールなのか、そうじゃないのか。
それも分らない。


でも、最近、感じた事なので、書いてみました。

ちなみに…
終戦記念日は敗戦記念日。
負けたのに記念日にしちゃうなんてね、不思議。
忘れたい「嫌な事」なのに「記念」にしてる。
戦争が終わって「良かったね」って言う記念なのかな。

それが例え「負けた戦争」であっても「終わって良かった」って想ったのなら、そこから連想出来る事は「戦争はしたくない」という意味かな。
そして「こんな辛い想いは繰り返したくないから記念にしておこう」と考えてくれたのかな。

気づいた事、書いてみました。

(藤田朋子)